自分から見えないものはやはり存在しないのと一緒なのかもしれない。自分が目で見て、認識して初めてそれは存在していると言えるのかもしれない。
私の知らないところで誰かが悪口を言っていたとしても、それは私の耳に入ってこない限り存在しないのです。まるでRPGゲームの主人公みたいだ、と思うのです。イベントに出くわして初めてその問題と向き合わなければなりません。そのイベントに出くわすことなくスルーしてしまえば、無いも同然なのです。
ですが、そんな何かに達観したかのようなことを考えていても、現実は残酷です。上に書いてあることの逆を言えば、知らないところで物語はどんどん進んでいるのです。波に乗り遅れるとか言いますが、私の知らないところで話は進んでいる。そして私の耳に入ってきたときには、ただただ驚愕し落胆するしかないのです。
知りえないものは知りえない。その事実がつらい。この世の中は物質世界なので、行きたいところへ行くには足を使わなければいけない。壁があったら見えないし、距離があれば何も聞こえない。私はぽつんと取り残され、みんなはみんなで幸せな人生を歩んでいる。疎外感を感じる。
先ほども言ったように目に見えないものは存在しない、少なくとも私の人生には存在しないのですが、通りすがりにふとすれ違うと、ああやはり存在しているではないか、と心を乱されるのです。そして物語を知るすべもないことに肩を落とすのです。
人生のゲーム性に私は一喜一憂している。知らなかったこと、思いもしなかったことが私の身に降りかかる。それは吉の時もあれば凶の時もある。そのゲーム性。結果など自分では到底コントロールできない。一寸先も見えない。この先私は私のミッションをクリアしているのだろうか。