俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

久しぶりの更新

ブログを3ヶ月ほど休みました。

考えることがあって書くことができなくなり、それから大きな生活の変化があって書けずにいました。

考え込む癖は相変わらずですが、何か生活が仕事が充実しているのを感じていました。

しかしここ最近にしては珍しく、ふと不安になりこのブログを更新してみようと思いました。

今の仕事を始めて4年4ヶ月経ちましたが今が一番いきいきと働けています。

その仕事における数ヶ月の充実ぶりが本当は嘘なのではないか、思い違いなのではないか、と不安になったのです。

何もできないくせにできるようになっているだけではないか、これからもっと上を目指せるといい気になっているだけなのではないか。

本質なんて変わらないではないですか。環境が変わっただけなんです。今年に入り部署が変わって、気持ちが楽になって、自分が何かできるようになったと勘違いしているだけなんです。

今の自分は、成長したいのかどうかもわかりません。成長したいのであれば、考えてもわからないことを考えなければいけません。考えたいことばかり考えていても成長はないと思います。でも楽な方に楽な方に流れていく自分を感じています。

もっとわがままでいいと思うんです。もっと自由でいいと思います。どうも私のカンペキ主義が邪魔をします。「こうでなければいけない」「こうありたい」みたいな固定観念がどうも自分の首を絞めている気がしています。

自分のやり方で、自分のペースで、成長できればいいなと思います。邪魔なんてさせません。

今の部署は前の部署に比べてすごく仕事がやりやすいです。環境は整っています。さて私はどうするか。やはり考えてもわからないことを考える必要があると思います。

小さい不安

 こんばんは、仕事の話を聞いてください。

 

 新しい部署の雰囲気にも慣れ、仕事を覚えていきたいという意欲をもって仕事をしています。(当たり前ですが。物覚えの悪い私はやっていけるのか)

 

 先日、どうも気になる場面がありました。AとBという男性がいるのですが、ある仕事をその二人組でする時に、お話に夢中になるのだそうです。もちろん、作業する手を動かしながらでしょうし、なんの問題もないと思います。お話しが楽しいのもわかります。

 

 配置表では私とAがそのある作業をする予定になっていたのですが、Bが「俺がやりましょうか?」と持ち掛けてきました。上述の話を聞いていたので、ん?とすぐに思いました。いろいろ思うことがあります。仲良し同士で仕事ができない事への不要な不満がでるのではないかという懸念。そういう不満に対する不安を、私自身がこれまた不要に抱く心配。

 

 その日は、私が「俺がやるからいいよ」と言ってAと作業しました。なんとなく癪に障ったので。AもBと組めなくてつまらないんだろうななどと思いながら要らぬ心配をしながら作業しました。前の部署は男二人での仕事だったので、そんな問題は考えたことも無かったのですが、部署が変われば、見知らぬ問題にもぶつかるでしょう。

 

 あいつと作業するのつまんない。なにかそう愚痴られそうで怖いのです。つまらないと思われたくないから、無理もしそうです。非常にくだらないのです。そんなことで悩みたくないです。と、私はそういうふうにこれから悩んでいくのではないかと案じて悩んでいるだけです。以上、気の小さい男の、小さな不安でした。

 

 

 

 

新しい部署でのここまで

 こんばんは!今日は仕事の話です。

 

 今年から新しい部署で働いているのですが、今日までわりと順調に、かつ自分のペースで仕事を覚えてきていると思います。それもこれも異動した先の部署の人たちが暖かい目で私に仕事を教えてくれているからです。

 

 前の部署では、相当なプレッシャーをかけられていました。また人を見下したような、馬鹿にした態度を取られることも多々ありました。はっぱをかけられていたと言えば聞こえはいいですが、それ相応のストレスを受けていました。もちろん、それのおかげで必死に仕事を覚えようという気持ちが起きました。その反面、仕事を覚えるのが怖くなるという弊害もありました。(どうしても恨みがましく書いてしまいます)

 

 考えて行動できるようにする、ということを去年の暮から目標にしています。そんな大層なものではないですが、意識をしています。私は要領が悪いので、正直不安ばかりです。まだ考えられるようになってきたというレベルではないです。今までの「考えても無駄」という思考の癖がなかなか抜けないですが、少しづつ改善していきたいです。

 

 前の部署みたいに「びくびく怯えながら」がいいのか、今の部署みたいに「明るくのびのびと」がいいのか、一長一短があると思いますが、どちらにせよ環境に甘えずやれることをやっていきたいです。

 

新しい部署で仕事始め

 今日が新しい部署への初出勤でした。

 

 いきなり昼の12時出勤という今まで絶対になかった時間での出勤。会社に行くと食堂でお昼休憩をしている人がいっぱいいました。なんとなく不思議な気持ちになりました。まあ工場によっては夜勤とかがあるわけで、こんなことで驚いていては仕方ないのですが。

 

 現場に行くとみんなが暖かく迎えてくれました。私も緊張していましたが、努めて明るくふるまいました。ああ早く打ち解けてみんなと仲良くなりたい、そう思いました。しかし、それよりもまず先に仕事を覚えなくてはなりません。

 

 仕事。前の部署で当たり前にこなしていたことが当たり前ではないことを実感しました。やはり慣れていないことはテンパります。また、勝手が違うので、できることをやるか、どうしたらいいかを聞くの二択なのですが、そのわからない状態というのはなかなかのストレスを感じます。

 

 慣れていないせいでしょうか、時間が経つのが少し早く感じました。午後9時に終わって家に帰ってきたのが10時半頃。一息ついてこのブログを書いています。まずは今日一日無事に終わったことをご報告させていただきます。

 

最終日

 今日が今の部署で働く最後の日でした。

 

 4年前に今の工場に入り今の部署に配属されました。私のいる工場は主に5つの部署に分かれており、どこに配属されるかは運次第だと思います。

 

 私の入った部署は少人数で回しており、生産数が多ければ、それだけ一人一人に負担がかかってきます。そしてそれだけに上司から受けるプレッシャーというのも大きく精神的に苦しくなることがたびたびありました。今回の異動も私のそういう苦しさが発端でした。

 

 「もっと成長できた」という後悔や、「次の部署はどうなんだろうか」という不安、「ようやく解放される」という安堵の気持ち、今いろいろな感情が湧いています。

 

 この4年間、フリーターか正社員か、その選択が私のすぐ目の前に迫っていました。今回の異動で、私の人生も大きく変わると思います。できることならいい方向に変わってほしいです。

 

 これまでこのブログで今の会社を辞める辞めないと騒いできました。アドバイスや励ましのコメントをいただいたり、スターをいただいたりして、大変勇気づけられました。ありがとうございました。とりあえず、新しい部署への異動となります。またあたたかく見守ってください。

お辞儀をする男性のイラスト

明日が現部署の最終日です

 仕事もいよいよ大詰めで、明日が年内最後の製造です。明日の製造は二時間ほどで終わるので、残りの時間は大掃除をやります。

 

 去年の暮、私のいる部署にはAさんという中年の男性社員が異動してきました。実はこのおじさんとは非常に仲良くさせてもらっていたので異動してきてくれたことが、うれしく、心強くもありました。

 

 去年の仕事の最終日、Aさんはなぜかはしゃいでいて足を滑らせ床に叩きつけられました。転んだというよりは叩きつけられたという言葉の方がしっくりきます。おじさんなので運動神経が鈍っているのでしょう、年甲斐もなくスキップなどをし何でもない床で足を滑らせ、受け身を取ることも手をつくともせず、そのまま前のめりで床に叩きつけられました。けっこう激しかったのでどきりとしましたが、幸い怪我もなさそうで、それがわかると、もう頭の中でなんどもその衝撃映像がリプレイされ、笑いがこみあげてきて、止まらなくなりました。「危うく労災だった」なんて笑うしかないです。

転ぶ子供のイラスト

 

 その日、大掃除をしながら一人大爆笑していました。女性社員も岡部さんがあんなに笑ってるところを見たことがないといっていたらしいです。Aさんの体を張ったハプニングのおかげで、なんだか愉快で楽しい大掃除だったのです。その記憶が鮮明なあまり、あれが一年前であることが嘘のようです。まるで、その間のAさんと一緒に奮闘したはずの日々がすっぽり抜け落ちてしまったかのような錯覚に陥ります。しかしこの一年、二人で一緒に頑張ってきたことは間違いありません。

 

 いよいよ、4年間所属した現部署も明日が最終日です。無事に明日一日を終えることができたらなと思っています。

働くということ

 働いている時にまるで奴隷のようだと感じる事がある。

 

 それを否定する言葉はたくさんあると思う。というよりなかったらこの現代日本は成り立たない。奴隷などでは決してない。自由に職業を選択し、自分の意思で働いているのだから、と。

 

 まるで奴隷のようだ、と感じた時、それは自分が嫌々働いているからだと理解する。自発的に動いていないからだ。やらされているからだ。しかし、自発的に動くための理由や論理が希薄な私には、よし自分から動こうなどというストイックな思考はいきなりには生まれない。

 

 できれば家で寝転んでぐうたらしていたいような私には、会社に行って、あれやこれやと考えて、機敏に作業してなどという、働くという行為が苦行に違いない。そして、これは生きていくためには仕方のないことなのだと、自分に納得させたいところだが、今一つピンと来ない。「まるで奴隷だ」という思考の方が、ずっとしっくりくる。

 

 そういう私に反して、生き生きと仕事をしている上司や同僚がいる。もちろん心の中はうかがい知れない。その人にはその人なりのそれだけの運動量を生み出すための原動力があるのだろうが、それを知ったところで私は腑に落ちないと思う。

 

 こういうふうになってくると、資本主義と言うのはとか、こんなに科学が発達しているのにとか、社会制度について考えてみたくもなるが、そんなこと私の頭では、とても掘り進めることは出来ないし、できたとして何になるものか。

 

 動物は生きていくために命がけで狩りをしたり、時に捕食者に狙われたり、必死で生きている。人間も同じなのだ。生きていくために働くのだ。大昔からそうだったろう。

 働かなければ生きていけないのは私も同じ。でもこれまで父母に守ってきてもらった余韻を今も引きずっているのかもしれない。自立できていないのではないか。生活のために働くということの意味を理解しているのか。そう自分に問い詰めたところで、結局は自分の情けなさが浮き彫りになるだけだ。

困った顔で働く会社員のイラスト(男性)