或る工場労働者の雑記

もう少し頑張りたい三十代の日記です

働くということ

 働いている時にまるで奴隷のようだと感じる事がある。

 

 それを否定する言葉はたくさんあると思う。というよりなかったらこの現代日本は成り立たない。奴隷などでは決してない。自由に職業を選択し、自分の意思で働いているのだから、と。

 

 まるで奴隷のようだ、と感じた時、それは自分が嫌々働いているからだと理解する。自発的に動いていないからだ。やらされているからだ。しかし、自発的に動くための理由や論理が希薄な私には、よし自分から動こうなどというストイックな思考はいきなりには生まれない。

 

 できれば家で寝転んでぐうたらしていたいような私には、会社に行って、あれやこれやと考えて、機敏に作業してなどという、働くという行為が苦行に違いない。そして、これは生きていくためには仕方のないことなのだと、自分に納得させたいところだが、今一つピンと来ない。「まるで奴隷だ」という思考の方が、ずっとしっくりくる。

 

 そういう私に反して、生き生きと仕事をしている上司や同僚がいる。もちろん心の中はうかがい知れない。その人にはその人なりのそれだけの運動量を生み出すための原動力があるのだろうが、それを知ったところで私は腑に落ちないと思う。

 

 こういうふうになってくると、資本主義と言うのはとか、こんなに科学が発達しているのにとか、社会制度について考えてみたくもなるが、そんなこと私の頭では、とても掘り進めることは出来ないし、できたとして何になるものか。

 

 動物は生きていくために命がけで狩りをしたり、時に捕食者に狙われたり、必死で生きている。人間も同じなのだ。生きていくために働くのだ。大昔からそうだったろう。

 働かなければ生きていけないのは私も同じ。でもこれまで父母に守ってきてもらった余韻を今も引きずっているのかもしれない。自立できていないのではないか。生活のために働くということの意味を理解しているのか。そう自分に問い詰めたところで、結局は自分の情けなさが浮き彫りになるだけだ。

困った顔で働く会社員のイラスト(男性)