俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

来年から変わること

 久々に仕事の話を聞いてください。

 

 今年10月初めハローワークに行きました。当時、本気で今の職場から離れたいとの気持ちで行きました。

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 その話を上司にしたところ、紆余曲折ありましたが「部署を異動させる」という方向に話が向かいました。

 

 そして来年から新しい部署で働くことになりました。

 

 今の部署で働いてほぼ4年。正直苦しい事ばかりでした。仕事のできない私は、何度も辞めようと思いました。相当迷惑をかけたと思います。あれだけ嫌だった今の部署も離れる段になるとこうやって感慨にふけってしまうのが不思議です。

 

 次の部署で、自分はどうなるのか期待と不安でいっぱいです。勤務形態がガラッと変わるのと、作業内容が変わるのと、そこが慣れるまで大変だろうなと思っています。仲のいい社員や話しやすいパートさんがいたりして、全く知らない部署ではないですが、何せ要領の悪い私のことなので、頑張らなければいけないなと感じています。

 

 まだ、現部署での仕事も二週間残っているので、気を抜かずに働きたいと思います。

どこにも向かっていない

 私はどこに向かっているでしょうか。

 

 夢がないと、目的地がないと、どちらに向かって走っていけばいいのかわからないですね。

 

 ただやみくもに走っている。それでもいいかもしれないです。でも、目的地があって、そこに向かって一つ一つ道順を辿っていく人と、目的地もなくまるで迷子のように、あるいは、どこを走っているのかさえ無関心に走る人と、その行きつく場所は歴然としているように感じます。

 

 だらだらと続けますと。目的地の決まっている人は同じ道は通らないですよね、何度も通らないですよね。目的地が決まっていない人は同じ道を何度も通るし、同じところをぐるぐる回っていることにすら気づかないと思います。進歩がないというのでしょうか。

 

 成長したいなら夢や目標を持った方がいいかもしれないです。でも夢も目標もない私もわずかながらに成長しているような気もするのです。気のせいかもしれないですが。

 

 高校時代は理想の自分に向かって必死に頑張ったものでした。でも夢破れて目標も見失って、今こうして一日一日が平穏に終わればいいなどと願ってそしてそれに満足しています。

 

 比較しているだけなんです。あの人はこの人はどんどん先に行ってしまう。それがただただ怖いんです。自分も追いつかないといけない気がしてくるんです。そしてそれでも結局、停滞している自分がいる。良いか悪いかではなく、どこにも向かっていない自分がなんとなく不安になってきます。

仕事で落ち込みましたが

 今日は普段とは動き方の違う仕事内容に戸惑い、全く動けず、自信を無くし、かなり落ち込んだ。自分の能力の無さに恥ずかしさを感じずにはいられない。恥をかきたくない人の前で恥をかいた。周りの作業員は私をどう見ていただろうか。思い出すだけで胸がざわつく。久しぶりに心を折られた。

 

 仕事終わり、落胆しながら帰りの車の中で考えた。負の感情に支配されている時こそ、プラスに生きるチャンスなのではないか。考え方は一つではない。私の気持ちがどんどん落ち込むようにものを考えているだけだ。私の考えは一つの説であって、絶対的な正解ではない。そもそも正解なんてない。それをあたかも唯一絶対の答えだと思い込んで落ち込んでいるのだ。考え方、感じ方の違う人にとっては何でもないことかもしれない。もしくはプラスな方向に持っていこうと考えるかもしれない。だとするならば、私が落ち込んでいる原因を信じて人生をマイナスな方向に向かわせてしまうのはなんとももったいないではないか。私の考えは唯一絶対ではないし、信じる必要はない。多種多様な考え方が存在するのだから、自分の考えに固執するのはよくない。

 

 自分の考え方を信用しないというのは一つの自己防衛なのかもしれない。自分の出した答えとは違う考え方が必ずあるのだから。自分の凝り固まったマイナスな考え方で、人生をつまらない方向にもっていくのはいい事ではない。もう少し図々しくてもいい、とか、そんなに気に病むことではないとか、もっと楽な考え方があるはずだ。どんな考え方をとったとして正解なんてない。自分にプラスになるかマイナスになるかだけだ。だとしたらプラスを取るべきだ。

 

 そんな風に強気に考えてみても、駄目かもしれないし、意味がないかもしれない。でもちょっとでもそういうふうに考えられたことがうれしかったのでブログに書きました。

不安な日々をどうしたらいいのかわからぬまま

 どうしようもなく湧き上がってくる不安に打ち勝つことのできないまま、明日も仕事に向かわねばならない。

 

 不安。今週は新製品の製造が控えている。にもかかわらず、その新製品に必要なデータがそろっておらず、かと言って上司に相談することもできない。相談できないのがかなり私を不安に駆り立てる。なぜ相談できないか。これにはそれまでの経緯があるのだが、言ってしまえば、相談するのが怖い。相談に行ったところでどんな反応をされるかと考えると不安になる。話し合いが持てない。今週末には製造があるのに、情報が少ない、上司の考えも分からない、聞けない。

 

 私はけっして怠けているわけではない。やる気がない訳でもない。責任を放棄しようという気持ちもない。ただ、上司とコミュニケーションをとるのが怖い。その一点で私は身動きが取れなくなる。私にも非があるだろうから一方的な文句は言えない。しかしどうしろと。うまくやる人はどうしているのだろうか。

 

 この不安感に対処しようとしたとき、前向きな対処が出来ればいいのかもしれない。立ち向かうというのが、私にとっての前向きな姿勢なのだが、どう立ち向かえばいいのかわからない。だから無能なのだ。いい歳して、一人では何もできない。情けない。

 

 できるならば上司ともっと円滑にコミュニケーションを取りたい。しかし、それは許されない。であるならば、私は逃げ出すことしか考えられない。逃げられればいいけど私のような無能に退路など用意されていない。まるで崖っぷちなので、いっそ落っこちてしまいたくもなる。

とりあえず考えてみるという癖をつけたい

 最近、仕事中、自分で考えて動こうという試みを実践しています。ただ正直、それが私の人生にどのように影響するのかはわかりません。

 

 普段から、考えても仕方ないとか、考えたところでわかりっこない、と判断したことはすぐに頭の外に追い出してしまう癖があります。もしくは、すぐに人に頼る。よくない傾向だと思います。とりあえず考えてみる。答えが出ようが出まいが考えてみる。考える癖をつけるのは間違いなくいい事だと思います。

 

 同僚がすごくよく考えて行動します。そこまで計算しなくても、とか、先読みしなくても、とか、どこからそんな発想が、などいつも驚かされます。そして、いつもの私であれば、私には関係ない、とか、そんなこと考えてる余裕はない、どうせ理解できない、とか、めんどくさい、意味がない、などと端から決めつけてしまいます。

 

 私は自分の脳みその限界を自分で作ってしまっているのです。私が考えたところで何の答えも出せないと。その癖、仕事に関係の無い事は永遠と考えているのです。確かにキャパシティは小さいと思います。なんとなく知っています。しかし、それを理由に「考えない」という行動に出るのは間違いです。答えが出るかどうかはわからないけど、考えることはできるはずですから。

 

 私は考えるのが嫌いです。嫌いだと決めつけています。でもそれは違います。考えても仕方ない、私に答えなど出せるはずもないと決めつけているのです。馬鹿だから考えても分からないと。馬鹿でも考えることはできます。「考えてもわからないから考えない」よりも「考えたけど結局わからなかった」のほうがいいはずです。順番が逆だったのです。

 

 何も難しいことをしようということではないのです。わからなくても考えてみる。これができるようになったら、少し仕事で気持ちが楽になるかもしれないと思ったのです。

浮かれていたら、案の定、雲行きが怪しくなってきた

 人生は自分の思い通りにはいかないなあ。

 

 人生が上向いてきたなと浮足だったのがいけなかったのだ。

 

 プラス思考とか前向きとかポジティブとかが苦手だ。悪い事が起きてしまったら、その反動が怖いから。あとは、あまり浮かれるとしっぺ返しを食らう気がして怖い。

 

 だから大人しくしていた。ブログに書くのも自重した。実は物事がうまく行き始めたところだったのだ。それなのに、急に狂い始める。こんなにきれいに事態が暗転するのか、と。

 

 しめしめと思ったのがいけなかったのだろうか。それはあるな。自分の思い通りに話が進むのでしめしめと、思った。誰にも言わなかったけど、お天道様は見ていたのだ。こんなにとんとん拍子で事態が悪化するのは天罰に違いない。浮かれていたら、案の定、雲行きが怪しくなってきた。

 

 まだその天罰について、正式な発表はないので、これから二転三転すると思う。うまく行き始めたところの出端をくじかれたので、気持ちが落ち込んでしまった。大人しくしているので、これ以上、悪い方向に行きませんように。

心の晴れない、不安な日々

  上司とうまくコミュニケーションが取れないでいるため、仕事の先行きが見えず、不安な状態に陥る。

 

 しかし同じ課の同僚は、自分で考えて次の次と先読みして仕事をしているので、私が陥っているような不安は感じていないみたいだ。それはすなわち、コミュニケーションの取れない上司が悪いのではなく、自分で考えて行動できない私が悪いということである。

 

 ああ、嫌だ。仕事ができない。

 

 先週から私の部署に新しい仲間が加わった。先週は私がついて、仕事を教えたが、今週はその同僚が担当する。来週はまた、私の番だ。仕事ができない私はどう立ち回ればいいのかわからず、今から戦々恐々としている。

 

 その同僚の立ち振る舞いが、私のプライドをずたずたにする。ああ、そこまで考えなきゃいけなかったのか、とか、それが正解だったのか、とか。私はおどおどしてばかりで何もできやしない。

 

 でもとにかく自分で考えて、答えを出さないといけない。自信は全くないが、ここを乗り切らないといけない。

 

 負の感情ばかりで、気持ちが晴れない。不安感や劣等感、プライドが傷ついたり、イライラしたり。今に始まったことではなく、思えばずっとこんな気持ちで働いてきた。努力が足りないのだ。怠けているのだ。誰かに認められたい。やる気はない癖に、その欲求だけは人一倍強い。

 

 ただただ心の晴れないこの憂鬱な状態を私はいつまで引きずるのだろうか。