俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

明日が現部署の最終日です

 仕事もいよいよ大詰めで、明日が年内最後の製造です。明日の製造は二時間ほどで終わるので、残りの時間は大掃除をやります。

 

 去年の暮、私のいる部署にはAさんという中年の男性社員が異動してきました。実はこのおじさんとは非常に仲良くさせてもらっていたので異動してきてくれたことが、うれしく、心強くもありました。

 

 去年の仕事の最終日、Aさんはなぜかはしゃいでいて足を滑らせ床に叩きつけられました。転んだというよりは叩きつけられたという言葉の方がしっくりきます。おじさんなので運動神経が鈍っているのでしょう、年甲斐もなくスキップなどをし何でもない床で足を滑らせ、受け身を取ることも手をつくともせず、そのまま前のめりで床に叩きつけられました。けっこう激しかったのでどきりとしましたが、幸い怪我もなさそうで、それがわかると、もう頭の中でなんどもその衝撃映像がリプレイされ、笑いがこみあげてきて、止まらなくなりました。「危うく労災だった」なんて笑うしかないです。

転ぶ子供のイラスト

 

 その日、大掃除をしながら一人大爆笑していました。女性社員も岡部さんがあんなに笑ってるところを見たことがないといっていたらしいです。Aさんの体を張ったハプニングのおかげで、なんだか愉快で楽しい大掃除だったのです。その記憶が鮮明なあまり、あれが一年前であることが嘘のようです。まるで、その間のAさんと一緒に奮闘したはずの日々がすっぽり抜け落ちてしまったかのような錯覚に陥ります。しかしこの一年、二人で一緒に頑張ってきたことは間違いありません。

 

 いよいよ、4年間所属した現部署も明日が最終日です。無事に明日一日を終えることができたらなと思っています。

最悪な一日のスタートが一転

 朝目を覚ますと、目覚まし時計が鳴らなかったことに気付いた。まずいと思い、すぐに時間を確認する。今日の出勤時間は何時だったか。まさか寝坊か。寝ぼけた頭で考えるが判然としない。一気に血の気が引いていくのがわかった。おまけにスマホを充電し忘れた。電源が入らない。

 

 仕事がある日であるならば、今日は最悪な一日のスタートだっただろう。しかし、今日が休日であることをすぐに思い出し安堵する。一気にうれしくなって、布団をかぶり思い切り二度寝した。

 

 たまにこういう現象が起こる。朝目が覚めて、仕事行くのだるいなあ、起きたくないなあ、などと思いながら、休日であることを思い出す。この安堵感が結構好きなのだ。仕事に行かなければいけない状況からまだ寝ててもいい状況に変わる、棚からぼたもち感。普段、休日であることを自覚しながら目が覚めるのとは違った、特別感。

 

 だれかこの現象がわかる方、いらっしゃいますか。

二度寝のイラスト(男性)

 

カウンセリングに通っていた話

 今から約6年前、私は公務員の仕事に就いていました。仕事が覚えられない。コミュニケーションが取れない。電話、窓口対応ができない。極度の不安の中での仕事は地獄のようでした。

 

 耐えられなくなりオーバードーズしました。そこで以前から通っていた精神科の先生にカウンセリングを勧められました。病院直属のカウンセリングオフィスということで、安心して受診することが出来ました。

 

 私は「これで助かった、俺は変われるんだ」と安堵しました。1回7000円でした。自分の未来が明るい方向に向かうのであれば、少しも高い金額だとは思いませんでした。わらにもすがる思いでしたので、毎週通いました。

 

 しかし、相変わらず仕事はきついまま。2回目のオーバードーズをしたのは入職して半年が経った頃でした。結局、公務員の仕事は辞めました。しかし人生を諦めたくなかったのでカウンセリングに通いました。結局、全部で41回のカウンセリングを受けました。全部で28万7千円の出費でした。

 

 カウンセリングは何にもなりませんでした。ただただ、最期の最期まで希望を持ち続けて通い、大金を失いました。あのカウンセリングはなんだったのだろうか。カウンセラーに対する不満と、自分に対するやるせなさのみが残りました。

 

 カウンセリングを受け始めた時の期待と中断した時の失望の落差が激しすぎて、未だに後悔の残る、散財でした。当時はカウンセラーの話を理解できなかったと、自分を責めましたが、今になって思えば、彼女は何がしたかったのだろうかと、疑問に思います。

 私は何も変われないと思っていました。そして何も変わらなかったのです。

会話について

 私は人と会話をするのが苦手です。

 

 もっと周りの人と上手に話がしたいと、子どもの頃から悩んできました。勝手に病名をつけるのは間違いですが、いわゆる自称「対人恐怖症」です。

 

 小学校の帰り道、友達と話ができないのが苦痛でいつも一人で下校していました。一体何を話せばいいだろうか、友達はしゃべれない私が嫌ではないのか等、いつも考えていました。最近、あまり意識はしなくなりましたが、苦手なのは今も何も変わっていません。当時と同じシチュエーションに立たされれば、当時と全く同じことを考えると思います。

 

 話せる人とはなんのストレスもなく言いたいことも言えて話せるのですが、そういう「話せる人」は本当に限られていて、大抵の人とはコミュニケーションが上手に取れません。

 

 よくあるのが、人と会話した後になって、「ああ、あの話をすればよかった」、「ああ、こう思ったんだから、それを伝えればよかった」など、言いたいことが言えなかったことを後悔することです。

 

 いつも人と比較ばかりしていますが、コミュニケーションの上手い人をみると、やはり、うらやましくなってしまいます。人が怖いという気持ちがある以上、なかなか人と話すのはうまくならないのでしょうか。

 

 

 今日はクリスマスイブなので鶏肉とケーキを食べました。

働くということ

 働いている時にまるで奴隷のようだと感じる事がある。

 

 それを否定する言葉はたくさんあると思う。というよりなかったらこの現代日本は成り立たない。奴隷などでは決してない。自由に職業を選択し、自分の意思で働いているのだから、と。

 

 まるで奴隷のようだ、と感じた時、それは自分が嫌々働いているからだと理解する。自発的に動いていないからだ。やらされているからだ。しかし、自発的に動くための理由や論理が希薄な私には、よし自分から動こうなどというストイックな思考はいきなりには生まれない。

 

 できれば家で寝転んでぐうたらしていたいような私には、会社に行って、あれやこれやと考えて、機敏に作業してなどという、働くという行為が苦行に違いない。そして、これは生きていくためには仕方のないことなのだと、自分に納得させたいところだが、今一つピンと来ない。「まるで奴隷だ」という思考の方が、ずっとしっくりくる。

 

 そういう私に反して、生き生きと仕事をしている上司や同僚がいる。もちろん心の中はうかがい知れない。その人にはその人なりのそれだけの運動量を生み出すための原動力があるのだろうが、それを知ったところで私は腑に落ちないと思う。

 

 こういうふうになってくると、資本主義と言うのはとか、こんなに科学が発達しているのにとか、社会制度について考えてみたくもなるが、そんなこと私の頭では、とても掘り進めることは出来ないし、できたとして何になるものか。

 

 動物は生きていくために命がけで狩りをしたり、時に捕食者に狙われたり、必死で生きている。人間も同じなのだ。生きていくために働くのだ。大昔からそうだったろう。

 働かなければ生きていけないのは私も同じ。でもこれまで父母に守ってきてもらった余韻を今も引きずっているのかもしれない。自立できていないのではないか。生活のために働くということの意味を理解しているのか。そう自分に問い詰めたところで、結局は自分の情けなさが浮き彫りになるだけだ。

困った顔で働く会社員のイラスト(男性)

来年から変わること

 久々に仕事の話を聞いてください。

 

 今年10月初めハローワークに行きました。当時、本気で今の職場から離れたいとの気持ちで行きました。

muchu-anchu.hatenablog.com

 その話を上司にしたところ、紆余曲折ありましたが「部署を異動させる」という方向に話が向かいました。

 

 そして来年から新しい部署で働くことになりました。

 

 今の部署で働いてほぼ4年。正直苦しい事ばかりでした。仕事のできない私は、何度も辞めようと思いました。相当迷惑をかけたと思います。あれだけ嫌だった今の部署も離れる段になるとこうやって感慨にふけってしまうのが不思議です。

 

 次の部署で、自分はどうなるのか期待と不安でいっぱいです。勤務形態がガラッと変わるのと、作業内容が変わるのと、そこが慣れるまで大変だろうなと思っています。仲のいい社員や話しやすいパートさんがいたりして、全く知らない部署ではないですが、何せ要領の悪い私のことなので、頑張らなければいけないなと感じています。

 

 まだ、現部署での仕事も二週間残っているので、気を抜かずに働きたいと思います。

ここ数年、購入しているカレンダー

 ここ4年近く毎年購入しているカレンダーがあります。

 

 「くもん なぜなぜカレンダー」です。世の中の様々な疑問とその答えをカレンダー形式にしたものです。疑問はカレンダーの表に書かれており、答えは裏をめくると書いてあります。一日一題あるので今日の疑問はなんだろうと、

毎日飽きることがありません。小学生向けのカレンダーですが、大人でもわからないような疑問がほとんどなので楽しめます。

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来年のなぜなぜカレンダー

 小学生の頃、公文式をやっていたので毎年このカレンダーをもらっていました。トイレの壁にかけて毎日見るようにしていました。4年くらい前にアマゾンで販売していることを知り、毎年購入するようになりました。

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一日一題、世の中の「なぜ」に答えてくれます

 最初は「懐かしい、まだあったんだ」と興奮して購入しましたが、今では当時の習慣そのままに毎日その日の疑問と答えを見て楽しんでいます。イラストも20年前と同じ人が描いているみたいで変わっていません。その辺も含めてお気に入りのカレンダーです。