俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

どこにも向かっていない

 私はどこに向かっているでしょうか。

 

 夢がないと、目的地がないと、どちらに向かって走っていけばいいのかわからないですね。

 

 ただやみくもに走っている。それでもいいかもしれないです。でも、目的地があって、そこに向かって一つ一つ道順を辿っていく人と、目的地もなくまるで迷子のように、あるいは、どこを走っているのかさえ無関心に走る人と、その行きつく場所は歴然としているように感じます。

 

 だらだらと続けますと。目的地の決まっている人は同じ道は通らないですよね、何度も通らないですよね。目的地が決まっていない人は同じ道を何度も通るし、同じところをぐるぐる回っていることにすら気づかないと思います。進歩がないというのでしょうか。

 

 成長したいなら夢や目標を持った方がいいかもしれないです。でも夢も目標もない私もわずかながらに成長しているような気もするのです。気のせいかもしれないですが。

 

 高校時代は理想の自分に向かって必死に頑張ったものでした。でも夢破れて目標も見失って、今こうして一日一日が平穏に終わればいいなどと願ってそしてそれに満足しています。

 

 比較しているだけなんです。あの人はこの人はどんどん先に行ってしまう。それがただただ怖いんです。自分も追いつかないといけない気がしてくるんです。そしてそれでも結局、停滞している自分がいる。良いか悪いかではなく、どこにも向かっていない自分がなんとなく不安になってきます。

悪い夢

 嫌な夢を見ました。

 

 私は大学4年時に2留しています。2留後、半期で2単位取得して卒業しました。これは現実の話です。

 

 夢ではやはりあと2単位取れば卒業できる状態でした。何かの講義に出席してその講義の終わりになって、履修登録をし忘れていることに気付きました。その講義の履修登録だけでなく、当期の履修登録を何もしていないのです。

 

 女性教授のもとに駆け寄って、名簿に私の名前がないか、確認してもらいました。私と同じ苗字の名前が2つありましたが、私の名前はありませんでした。

 

 これでは卒業できないと、絶望しました。うっかりでは済まされません。半期、大学に籍を置いておくだけで多額の授業料が発生します。

 

 目が覚めて、現実ではちゃんと卒業しているということを確認し安堵しました。

 

 10年前の当時の焦りや不安がこうやって夢に出てきたんでしょうか。

 

留年のイラスト

最近の私の家のメダカの様子

 最近、めっきり寒くなりましたね。

 

 私の部屋のメダカはどうやら健在のようです。

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 私は仕事から帰ってくると、部屋に行き、暖房をつけます。それまで、室温はかなり低いです。だからなのでしょうか。ほとんどのメダカが水中で静止しています。

 

 私が部屋の明かりと暖房をつけてしばらくすると、泳ぎ始めるようです。餌も暖かかった頃は手を近づけるだけで、水面に浮かんできていましたが、最近は餌をあげても興味が無さそうにしています。

 

 と、思って先ほど餌をあげてみたらパクパク食べています。どうやら、室温や部屋の明るさが関係しているように感じます。

 

 気になるのは、室温の寒暖差です。日中は仕事をしているので部屋の温度は低いのですが、私が帰ってきて暖房をつけると、室温は25℃くらいになります。めだかに負荷がかかってないか心配です。

 

 夏と比べると活動量が減ってくるのは理解できます。メダカは丈夫で飼いやすいと聞きましたが、室温でこう寒くなったり暖かくなったりしても大丈夫なものなのか、と少し不安になっています。

仕事で落ち込みましたが

 今日は普段とは動き方の違う仕事内容に戸惑い、全く動けず、自信を無くし、かなり落ち込んだ。自分の能力の無さに恥ずかしさを感じずにはいられない。恥をかきたくない人の前で恥をかいた。周りの作業員は私をどう見ていただろうか。思い出すだけで胸がざわつく。久しぶりに心を折られた。

 

 仕事終わり、落胆しながら帰りの車の中で考えた。負の感情に支配されている時こそ、プラスに生きるチャンスなのではないか。考え方は一つではない。私の気持ちがどんどん落ち込むようにものを考えているだけだ。私の考えは一つの説であって、絶対的な正解ではない。そもそも正解なんてない。それをあたかも唯一絶対の答えだと思い込んで落ち込んでいるのだ。考え方、感じ方の違う人にとっては何でもないことかもしれない。もしくはプラスな方向に持っていこうと考えるかもしれない。だとするならば、私が落ち込んでいる原因を信じて人生をマイナスな方向に向かわせてしまうのはなんとももったいないではないか。私の考えは唯一絶対ではないし、信じる必要はない。多種多様な考え方が存在するのだから、自分の考えに固執するのはよくない。

 

 自分の考え方を信用しないというのは一つの自己防衛なのかもしれない。自分の出した答えとは違う考え方が必ずあるのだから。自分の凝り固まったマイナスな考え方で、人生をつまらない方向にもっていくのはいい事ではない。もう少し図々しくてもいい、とか、そんなに気に病むことではないとか、もっと楽な考え方があるはずだ。どんな考え方をとったとして正解なんてない。自分にプラスになるかマイナスになるかだけだ。だとしたらプラスを取るべきだ。

 

 そんな風に強気に考えてみても、駄目かもしれないし、意味がないかもしれない。でもちょっとでもそういうふうに考えられたことがうれしかったのでブログに書きました。

クリスマスケーキのパンフレット

 12月に入るともうすぐクリスマスがやってきますね。

 

 今年は母と二人でクリスマスを迎えそうです。

 

 先日、セブンイレブンで店員さんにクリスマスケーキのパンフレットをもらってきました。苺のショートケーキやモンブランやチョコケーキなど、どれも美味しそうです。今流行りのピスタチオのケーキや抹茶のケーキなどもありました。いいなあ、今年は母親に美味しいケーキでも買ってあげようかな、などと思いました。「今年はパンフレットのケーキでも食べようか」と母に言いました。

 

 時を同じくして、母もスーパーでパンフレットをもらってきました。どれもホールケーキなんですよね、二人で食べるにはちょっと。そこで母が「こんなのもあるよ」と言って見せてくれたのが、6種類のカットケーキを円形に並べた「アソート」というものでした。「これならいろいろ食べれていいね」などと話しました。なかなか母も乗り気なのだなと思いました。

 

 しかし、パンフレットのケーキはどれも値段が張ります。小さいものでも2000円以上の値段が書いてあります。たまには奮発しても、いや、それにしても高いな。すこし葛藤して、私は母にこう提案しました。「やっぱりシャトレーゼのケーキでいっか」。母もそれもそうだね、といいました。

 

 パンフレットには夢のようなケーキがいっぱい載っていましたが、値段を見て現実に戻されました。どこのケーキでもいいのだ。どこのケーキだって美味しいのだ。ケチな私は自分にそう言い聞かせて、財布の紐をきつく締めました。いつかは2000円のホールケーキを母に食べさせてあげようと、そう思いました。

自販機の思い出

 ダイエットを始めて2週間以上が経過した。

 

 毎日体重を測っているが、全く減る気配が無い。72kgから71kgの間をうろうろするばかりだ。食べる量とカロリーは明らかに減ったはずだ。ただ問題点が一つ。今まで夕食にしていたものを朝食にもってこようと試みた。しかし、空腹で目が覚めたり、深夜に我慢できなくなったりして、結局夜食を摂ることになっていることだ。

 

 というより、なんだかんだ食っている。納豆食べたり、味噌汁飲んだり、肉単体で食べたり。それでも毎日のコンビニ通いによる支出が減ったのは大きい。ダイエット続行です。

 

 今週のお題「あったか~い」

 

 「あったか~い」と聞くと自販機を思い出します。昔の自販機の「あたたかい」は今の自販機より熱くなかったですか?私が子どもの頃、平成初期の思い出ですが、「あたたかい」飲み物を買うと、素手では持てませんでした。子どもだったからなのでしょうか。必ず、上着やハンカチなど、布を通さないと「あたたかい」飲み物は持てませんでした。たまたまその自販機の設定温度が熱かっただけなのでしょうか。今の自販機で「熱くて持てない」という経験がありません。ぬるいわけではないですが、すぐに冷めてしまう温度です。今の自販機はもう少し設定を熱くしてもいいかもしれないと思う今日この頃です。

今日の休日は野球をしました

 今日は一年ぶりくらいに野球をやりました。野球といっても男三人でキャッチボールして軽いバッティング練習をしたくらいですが。

 

 コロナだから少人数というわけではなく、以前からこの少人数で野球をしていました。ここ1、2年は集まる機会が減って約一年ぶりとなりました。

 

 しかし、私はこの三人でやる野球が大好きなのです。試合はおろか大した練習もままならないのですが、このメンツが好きです。以前は毎週のように集まって野球をしていました。かれこれ6年くらいの付き合いです。

 

 野球の後、三人で昼飯を食べに行くのも好きです。今日はらーめんを食べに行きました。気を使わなくていい仲間との食事は楽しいですね。

 

 

 話は変わりますが、今、又吉直樹の『火花』を読んでいます。私は芸人が書いた小説ということで、勝手に毛嫌いしていました。話題になった当時、母親が読みたいというので書店で購入したものが家にしまってあったのを思い出しました。

 

 とりあえず「芸人だから」という勝手に作り上げたフィルターを取っ払おうと思いました。まだ途中までですが、読んでみて初めて分かります。そんな固定観念が私の読書の機会を大きく削っていることに。

 

 読まないとわからないですよね。読んでみて判断すればいいのに、読む前から決めつけてしまうというのは、あまりいい事ではないです。今回は私の読書の機会を邪魔する「決めつけ」を取り払おうという試みとして、読んでみようと思いました。