霧中暗中ブログ

夢も希望もない三十代の日記です

日記をつけることに安定剤としての役割はあるか

 大学2年から4年にかけて日記を書いていた。はじめはその日一日の行動や出来事などを記録するつもりで始めた。それがだんだんと、自分の悩みや考えていることなどを記録するようになっていった。

 日記をつけることはいいことなのだろうか。その人にとってプラスになるだろうか。私の場合、悩み事の根幹は何も解決しなかった。それどころか、考えなくてもいい事まで考えて傷口をいたずらに広げてしまった可能性がある。何も解決しなかったから、あるいはマイナスに働いたから、今の私がいる。そんなことは机上の空論で、何も意味をなさないが、日記を書いていなければ今の私はどうなっていたかについて、考えずにはいられない。

 その後、しばらく日記をつけていなかった。公務員になった26歳の時に再び日記をつけるようになった。どうすれば悩みが解決するだろうかという試みではなく、ただ単に日記を書くことが心の安定剤になるようだった。公務員時代は地獄だったが、日記を書くと幾分心が安らぐようだった。焼け石に水ではあったが。その日記は今も続けている。

 大学時代の日記も社会人になってからの日記も記録として残っている。いつでもすぐに読み返すことができる。読み返したところでどうなるわけでもないが、機能としてはアルバムと似ている。アルバムがその時の自分の外見や、風景を記録しているように、日記にはその時の考え方や感情が記録されている。私の場合、基本つらい時にしか日記をつけないので、情報が偏ってはいるが。なんてことはない、日記を読み返して、あんなことやこんなことがあったなと思い出にふけるのみだ。

 普段あまり「日記をつけよう」という言葉を耳にしない。日記をつけるという行為は科学的には多分あまり意味の無い事なのかもしれない。ただ私にとって精神安定剤のような効果があるような気がしてならない。日々の不満や鬱憤を包み隠さずぶつけることで憂さ晴らしになっているのかもしれない。あるいは、アンニュイな雰囲気に浸って自分に陶酔することができるのかもしれない。いずれにせよ、私にとって日記というのは溜まったものを吐き出すはけ口の役割を果たしている。

 仕事中、つらくなると日記に逃げたくなる。これからも日記にはお世話になりそうだ。