俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

最終日

今年最後の出勤が終わった。

最終日というよりアニメの最終回みたいだ。

さあセカンドシーズンに続くのかみたいな。

 

今年一年が成長の年になった。と言ってしまうのは簡単すぎるし、安易だと感じます。

 

「成長した」と感じさせてくれる、心地よい環境にいられただけです。あまり掘り下げて考えたくはないですが、目を背けなければ何一つ成長などしていないのです。

 

それはいいことなのでしょうか。まるで成長できたかのように錯覚させてくれる環境へ移ったのは、良いことでしょうか。ちょっとくらいは成長してるかもと思わせられるくらいいい環境なのです。

 

前の部署で私は奴隷の気持ちで働いていました。そこに成長を見出すことはできませんでした。今の部署では生き生きと働いています。そして成長していると錯覚しています。

 

こんな優しい環境にあぐらをかいて成長しないのは、私の心がここにないからだと思います。

 

そうです。何シーズン目かは知りませんが、今日が最終回だったのです。私は祈っているのです。どうか、どうかと。

 

やりたいことがいっぱいできた年でした。その意味でなんと素晴らしい一年だったか。心ここにあらずで、あれ一年がもう終わってしまうという状態でも、私たちがどんどん歳をとっていくにしても、その事実は間違ってないです。一日一日を噛みしめなくては。

私の職場の

私の職場には出ます。

 

怪談好きの私としてはそのこと自体が不思議なこととして興味深いのですが、 

 

ただなぜここに出るのか、ということに私は思いを馳せます。

 

 

様々な人が働いている場所ですから、誰のどういう思いがなぜここにそういう形で現れるのかわかりませんが、そういう部分を考えるのはまるで人の秘密を探るみたいです。

 

いろいろ推測はできますが、全くの見当違いかもしれないし、わかりようのないことです。

 

結局、職場に出るそれ、というよりもそれについて私がどう考えるかに私は興味があるわけです。

 

ただ朝一で出勤して、誰もいない作業場に内心ビビっているのも本当のことです。

モチベーションをどこに求めるか

仕事のモチベーションをどこに求めるべきか考えてしまいました。

 

私と同じ課の同僚に、私よりやる気がなく仕事の遅い人がいます。

 

その人よりいかに早く作業できるか、いかにやる気を見せることができるか。

 

それが今の私のモチベーションとなっています。

 

自分より下の人間を作ることに一生懸命になっています。

 

そうすることで相対的に自分の価値を高めようとしています。

 

できる人に囲まれているときは縮こまって腐っていくくせに、できない人がそばにいるときは水を得た魚のように生き生きしだす。

 

なにか「働きアリの法則」を連想します。

 

そういう日和見的な自分を嘲りたくて、このブログを書いています。

 

上の人を見て、「この人みたいになりたい」という気持ちがモチベーションになればいいですけど、もうそんな真っ当な態度で仕事に臨む年齢ではないのかもしれないと思い返し、少し赤面しました。

 

 

今の仕事を頑張るか頑張らないかという問題

先日、YouTubeの動画広告を見ていたのですが、その内容がなんとなく心に刺さりました。

 

自分の強みがわからない、どの仕事が向いているかわからない、と悩む男性。さて、彼はどうすればいいか。やらなければいけないことはずっとシンプルなものでした。それは、今の仕事を死ぬ気で頑張って、死ぬ気で成果を上げる、というものでした。

 

私は、ずっと目を逸らしていた至極当たり前のことを突き付けられた気がして、少しショックを受けました。今の仕事は天職ではない。きっと自分に合った仕事があるはずだ。ずっとそうなふうに思って働いてきた私は、おそらく何も成しえないし、天職に出会うことも無いでしょう。

 

じゃあ、今の仕事、全力で頑張りましょう。いいえ、そうはならないのです。怠けたいだけですから。ラクで楽しくて稼げる職に就きたいだけです。なので今の仕事ですら頑張るはずがないのです。

 

それじゃいけないと心のどこかで思っているからこそ、私の中の真理に出会いたいですが、考えれば考えるほどわからなくなります。今やるべきことは一つ、それは今の仕事を頑張る事です。でもそこに「可能性」という言葉が絡んでくると、何も見えなくなってしまいます。

 

まだまだじたばたしそうです。

異動してきてから10ヶ月が経ち

こんばんは

 

私が今の部署に異動して、早10ヶ月が経とうとしています。このブログにおいて、あまり仕事の話を書かなくなったのは、はっきり言ってしまえば仕事が楽になったからです。また仕事をおろそかにしているからと言うこともできます。

 

前の部署にいたときはほんとに辛かったです。であれば生活の中心はやはり仕事でした。一日中、仕事のことを考えなければいけない状況でした。それがいいか悪いかは置いといて、とても苦しい日々でした。

 

今の私は仕事のことなどほとんど考えていません。自分の意志次第ですから、環境のせいにするつもりはありません。しかし、一体誰のお陰でこんなにのびのびと仕事ができるでしょうか。仕事をしながらあらぬことを延々考えています。だから大した仕事などしていないのです。それでいて今の課にいると自分は仕事ができている、自分はすごいなどと思ってしまうから不思議です。

 

楽して仕事をしているさなかにこれでいいのだろうかと、ふと湧き上がる不安。甘いなあ、ぬるいなあと、言葉は出てきますが、心はこの今の状況にどっぷりと浸かっています。問題はやはり、これでいいのだろうか、ということです。

 

そうやって真面目ぶっても仕方ありません。気持ちにはしっかりブレーキがかかっています。これ以上自分を追い込むなと。

 

価値観の問題でしょうか。自分がいいならそれでいいじゃないか。そういうことなんだと思います。ただ将来を考えるとそうも言っていられないと、私はふと不安になる、それだけです。

煮えきらない

こんばんは

私は最近煮えきらない思いを抱えている。

こんな最高の環境にいて、煮えきらないのはもう甘えでしかないという事実もちゃんと私の傍にいてひしひしと感じている。

いや、この煮えきらないという感情がそもそも私の甘えと切っても切れないのではないか。

ところで何がそんなに煮えきらないのか。

私と誕生日が一日しか変わらない同い年の上司。その彼のそばで働いていて感じる無力感。

彼はばりばり。いわば働いている。みんなが彼を頼る。そして頼りになる。

一方、私は働いているふりをしている。頼りになることをアピールする。そして頼りにならない。

どうして、こうなるのか。こうなったのか。

社会人になってずっと感じる。なぜ仕事ができないのか。

やる気のなさ。考えようとしない、工夫しようとしない私の態度。緊張感の欠落。自信のなさ。

こうして落ちてきた。落ちていないように取り繕っているが、落ちている。取り返しがつかないほど。

人生のレールから外れたのが大学四年の時。そこから軌道を修整できず、ずるずると12年間ここまで来た。逃げてばかりじゃなかったはずだ。でもやはり工夫が足りなかった。工夫しようという頑張りが足りなかった。

あまり見ないようにしているが、時々ちらっとこれからのことも考える。

なるようになる。これが救いの言葉にも、堕落していてもいいという甘えの言葉にも、どちらにも聞こえる。

今日の私

こんばんは

仕事の話です。

仕事をしながら今日も今日とていらぬことを考えることに没頭しておりました。

前の部署で上司に気分を害されるような発言や態度をされたことを思い出し、どうブチ切れてやればスカッとしただろうか、などをメインに延々考えておりました。

部署異動して、もう半年近く経つのにこうやって前の上司に固執するのは、それは私が何もやり返せなかったからでしょう。よっぽど悔しかったんだと思います。

それはそれとして、仕事中にそんなことを考えているのは間違いです。今日ちょびっとだけ頭を使わなければいけない場面がありました。

そんな余計なことをひたすら考えていた私は、その突然の頭を使う場面にうまく対応できませんでした。

ところで私よりも6つほど下の女性社員がいます。彼女はそれはもう一生懸命仕事をして、周りを見渡しながら指示を出し、現場の中核を担う有能な社員です。

私が小学6年生の時、彼女は1年生だったわけです。一体どこで差がついたのでしょうか。私念に囚われながら仕事をしてきた私が、仕事に真摯に向き合ってきた彼女に敵うはずがないのです。

そこまで分かっていて現状を変えられないのは、それは意志の弱さ?能力の限界?生まれ持った性質?環境?わかりません。と言って、私が踏み込んだことをしていないのは事実です。何か変えようという強い意識は持っていないのです。

何も変えられぬまま34を迎えようとしています。