俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

五感では感じることができないものの話

私たちには五感というものが備わっています。この五感でもって世界を感じています。だから私たちはこの五感で感じることができるものが、この世の全てだとついつい感じてしまっています。

 

しかし、実は私たちが見たり触ったりと、感知することができる物質というのは、この宇宙の5パーセントしかないのだそうです。その他95パーセントを占めるのがダークマターと呼ばれる物質で、それらは正体不明であり、我々がどんなに神経を研ぎ澄ませようとも見ることも触れることもできないのだそうです。

 

つまり、ダークマターが私たちのいる空間にどれだけ溢れていようとも、私たちの五感では感じることは決してできないので、我々にとっては存在しないも同然なのです。

 

そんな話を聞くにあたり、私は五感に思いを馳せました。人間の五感では感じることのできない情報ってどんなものがあるのだろうか。もし感じることのできないものを感じることができたらどんな感じなのだろうか。耳でも目でも鼻でも舌でも手でも感じることのできない情報ってどんなものなのだろうか。

 

そしたら一つ、私は思い当たりました。魂って感じることができないよなあ、と。人の心ってまったくもって知りえない。いわゆるテレパシーという能力なんかが、その五感とは別の未知の感覚なのではないだろうか。

 

また欲深い話ではあるが、この世界で私一人、他人の心を感知することができたなら、どんな世界が待っているだろうか、などと考えます。知りたい情報以外にも知りたくない情報も入ってくるでしょうに、私はワクワクしてしまいます。人の秘密は蜜の味って本当でしょうか。人の頭の中が覗けたら楽しいに決まっている。これじゃ、どうしようもない助平野郎じゃないですか。下世話すぎます。

 

ただ、人の心とか魂がなんらかの信号を発信しているとして、なのに人間にはそれを感じる能力がないのだとしたら、と考えると、複雑な心境になります。そうであるから、この世界がなんとか周っているのでしょうけど、私には行き場のない気持ちがどんどん溜まっていきます。なんとか人の心を覗けないものか。

 

ダークマターを感じることができないのと同様に、人の心も見ることも触ることも出来ない。そこに確かにあるはずなのに手が届かない。なんと悔しいことか。どうすることもできないものをどうにかしたいと願うとき、人はファンタジーに走りますよね。過去に戻りたいとか、人の心が読みたいとか、魂だけを飛ばしたいとか。

 

ファンタジーはファンタジーですから、空想するのは楽しいですが、虚しいのです。何か願い事があるときは、それを叶える術があると一旦仮定して、結局お祈りせざるを得ないのです。今の私がまさにそれです。何か精神的なものにすがって生きるというのはそういうことなのかもしれません。