俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

承認欲求と自己肯定

「人からどう見られているか」

「自分はどう生きるか」

この2つは対極にある気がします。前者は承認欲求で、後者は自己肯定。

 

例えば車を運転中、ゆっくりと走る車の後ろについたとします。もう少し速く走ってくれないかな、と思ったとします。ここで前の車に接近して、プレスをかけるのは前者だと思うのです。顔も見えない誰かもわからない前方を走る運転手にプレッシャーを与えることで何かを感じさせたい。これは「承認欲求」だと感じます。他人の思考を自分に向かわせたい駄々っ子のようだと感じるのです。

 

しかし、相手は他人なのです。その人に対し平気で車を近づけて圧力をかけるというのは、なにか違う気がします。焦っている、急いでいるというのは自分の問題であって相手にはなんの関係もないことです。それを相手の事情も知らずに攻撃的な感情になるのは、自分勝手過ぎる気がします。

 

相手の気持ちをむりやりこちらに向かわせることと、自分の気持ちの中で自分の範囲内で物事を処理することが、対極にあるように感じたのです。

 

人から認められたいという自分の幼稚で未発達な精神が気に入らないのです。相手からどう思われてるか、どう思わせたいか。こんな思考が私を人生を通じて苦しめてきました。後者のように生きることができたらと何度となく思いました。

 

他人からどう思われようとへっちゃらだとかいうやせ我慢ではなく、本当に自分の中で納得して自分の思う生き方ができたら、どんなに素晴らしいことかと、思い巡らすのです。

 

家族からの愛情をどうにかして私に向かわせたかった幼児期の私がまだ私の中にはっきりと残っているのを感じ、しかし、その湧き上がってくる欲求があまりにも強すぎて、私は自分をコントロールできないのです。

 

ですから、自分を自分で認められる人に憧れます。他人からの評価に依存したくないのです。そういう生き方がいつかできるでしょうか。