俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

あるかないかはわからないけど

お化けって信じますか?

 

こんなに科学が進歩した現代において、未だにいるいないで議論がされますよね。なんとも不思議な存在です。

 

私は正直いるんじゃないかと思います。私は怪談が好きです。なので、その感想にはロマンや願望が含まれています。

 

お化けに限らず、人智を超えたものに私はすがります。ジンクス、神仏、パワーストーン、夢、偶然、祈り。なんとか人生が好転しないものか、という試行錯誤の中にそれらはどこかしらで必要となります。

 

お化け関係なくなっちゃいましたね。いるのかいないのかはっきりしないところにきっと魅力があるんでしょう。超常的な何か、あるんでしょうか。そういうものがあったらいいな、いやないかな、あった、なかった。日々の中で私は勝手に一喜一憂しています。

 

どうか、この身勝手極まりない私の人生が幸せでありますように。

深夜2時

深夜2時。次の出勤時間までまだあと9時間もあります。その時間を有効に使いたいのですが、どうあがいてもベストな時間の使い方はできないことを私は知っています。例えばですが閉店したお店には行きたくても行けないですよね。

 

要するに私は今、悶々としています。こんな時、スマホは最良の友達ですね。You Tubeで都市伝説の動画でも見ようか。Kindleで読書でもしようか。英語学習でもしようか。選択肢はたくさんありますが、今の私にストライクではまるものがないようです。

 

何をしても空虚な気持ちになります。また、なんの実りもないように感じます。つまらない。所詮暇つぶしに過ぎない。こんなことしてる場合じゃないのだ。

 

何も変わらない。変えられない。幸せかと聞かれたら幸せだと答える。よし、都市伝説にしよう。

人はなぜ生きているか

人はなぜ生きているのか。

 

というより生き物全般が、少しでも長く生きようと行動します。生き物って死ぬのを極力避けますよね。

 

欲求があるから、人は生きているのだと思います。欲求が無かったら生きていけないですもんね。

 

だけど誰が生き物に少しでも長く生きるようにと欲求をインプットしたのでしょうか。原始的な生命がこの星に生まれたときから、もうすでに生命は生きながらえるように設計されてたんでしょうね。

 

誰かの意志を感じます。

 

なぜなら生命が存続する必要性が感じられないからです。この地球上から生命が絶えないようにコントロールしている誰かがいるはずです。

 

その誰かになぜ我々は生きているのかと聞かないと私たちが生きている本当の理由はわからないと思います。

 

宇宙がなぜあるのかわからないのと同様に生命がなぜこうして脈々と存続しているのかもわかりません。

 

ジンクス

良い未来を妄想して想像して、ああしまったとなることはありませんか。

 

想像してしまった良い未来はやってこない、というのが私の中のジンクスになっています。

 

良い未来は想像もしていなかった思いがけない形でやってきます。

 

その代わり、こうなったらいいな、という想像の未来はやってきません。

 

だからいい未来を空想してはいけないのですが、ロマンチストな私は自然と空想してるんです。

 

その時にハッとなり、後悔します。はい、その未来はもう来ません!となるんです。

 

悪い未来は来そうですがね。それはいつでも身構えてないといけませんから。私はガタガタと怯えています。

 

 

ところで、過去は変えられないというのはもうこの世の理なのです。しかし、もしこうしてたら、こうなって、ああなって、とありもしない別の世界線の妄想を延々してしまうのはなぜなのでしょうか。

 

やはり来るべきはずだった現在、来てほしかった現在を渇望するからでしょう。

 

そんなにうまくいく訳ない人生なんて。私は欲張りだなあ。

 

今の仕事を頑張るか頑張らないかという問題

先日、YouTubeの動画広告を見ていたのですが、その内容がなんとなく心に刺さりました。

 

自分の強みがわからない、どの仕事が向いているかわからない、と悩む男性。さて、彼はどうすればいいか。やらなければいけないことはずっとシンプルなものでした。それは、今の仕事を死ぬ気で頑張って、死ぬ気で成果を上げる、というものでした。

 

私は、ずっと目を逸らしていた至極当たり前のことを突き付けられた気がして、少しショックを受けました。今の仕事は天職ではない。きっと自分に合った仕事があるはずだ。ずっとそうなふうに思って働いてきた私は、おそらく何も成しえないし、天職に出会うことも無いでしょう。

 

じゃあ、今の仕事、全力で頑張りましょう。いいえ、そうはならないのです。怠けたいだけですから。ラクで楽しくて稼げる職に就きたいだけです。なので今の仕事ですら頑張るはずがないのです。

 

それじゃいけないと心のどこかで思っているからこそ、私の中の真理に出会いたいですが、考えれば考えるほどわからなくなります。今やるべきことは一つ、それは今の仕事を頑張る事です。でもそこに「可能性」という言葉が絡んでくると、何も見えなくなってしまいます。

 

まだまだじたばたしそうです。

異動してきてから10ヶ月が経ち

こんばんは

 

私が今の部署に異動して、早10ヶ月が経とうとしています。このブログにおいて、あまり仕事の話を書かなくなったのは、はっきり言ってしまえば仕事が楽になったからです。また仕事をおろそかにしているからと言うこともできます。

 

前の部署にいたときはほんとに辛かったです。であれば生活の中心はやはり仕事でした。一日中、仕事のことを考えなければいけない状況でした。それがいいか悪いかは置いといて、とても苦しい日々でした。

 

今の私は仕事のことなどほとんど考えていません。自分の意志次第ですから、環境のせいにするつもりはありません。しかし、一体誰のお陰でこんなにのびのびと仕事ができるでしょうか。仕事をしながらあらぬことを延々考えています。だから大した仕事などしていないのです。それでいて今の課にいると自分は仕事ができている、自分はすごいなどと思ってしまうから不思議です。

 

楽して仕事をしているさなかにこれでいいのだろうかと、ふと湧き上がる不安。甘いなあ、ぬるいなあと、言葉は出てきますが、心はこの今の状況にどっぷりと浸かっています。問題はやはり、これでいいのだろうか、ということです。

 

そうやって真面目ぶっても仕方ありません。気持ちにはしっかりブレーキがかかっています。これ以上自分を追い込むなと。

 

価値観の問題でしょうか。自分がいいならそれでいいじゃないか。そういうことなんだと思います。ただ将来を考えるとそうも言っていられないと、私はふと不安になる、それだけです。

理性に従いたい

こんばんは

 

スマホを片時も手放すことができません。食事の時、煙草を吸う時、トイレに行っても、お風呂に行っても、歯磨きする時、就寝する前ですらスマホとにらめっこをしています。隙さえあればスマホです。

 

何かで見たうる覚えの情報ですが、スマホは中毒性があるように作られていると聞いた気がします。私なんかはホントそうだよなと信じてしまいます。

 

スマホを本に代えられないだろうか、といつも考えています。スマホは短時間で没入できてしまうという特徴があります。一方、読書はほんの隙間時間ではできません。トイレに行くとか、歯を磨くとか、そんな時間に片手に持っているものをスマホから本に代えられたら理想なんですが。またスマホは暗闇でも見られるというのがにくいですよね。

 

私の中では、スマホを見るというのは欲求を満たすことです。読書はどちらかというとお勉強に近いです。欲求に従うか、理性に従うか。理想は理性に従いたいのですが、どうしても欲求が勝ってしまいます。

 

スマホにまんまと支配されている私は、このままでいいのだろうか、このまま行くとどんな結果につながるのだろうかと、不安になってしまいます。スマホで読書をするのはどうだろうか。逆転の発想だと思うのですが。