俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

非情できまぐれな運命

一生知るすべもない知りえないもの。知ったとしてどうなる。ただ、私の知識の肥やしになるだけだ。

 

その私の知りたいことをどうでもいいとしてしまうのは私の強がりなのだ。知っとけばよかったのだろうか。いや、そのことを後悔するよりももっと大きな後悔を抱えているのだから、やはりそんなこと、小さいことなのだ。

 

ただ、その私の今後の人生で知りえないもの、そのなかにいろんなものが詰まっている気がしてならない。ただの一情報がなぜか光って見える。それを知っていたとして、ただの自己満足に過ぎず、現状が変わることもない。そんなものにどうしても心がひかれる。

 

それはまるで宇宙の真理に似ている。いや、どう考えても言い過ぎだ。でも、確かにあるのに、絶対に知りえないという点において、大小あるものの、私にとっては似ているといえる。

 

ああ、それを言ったら、あれも知りたいこれも知りたい、となってくる。とんでもない煩悩なのだ。煩悩は苦しみの原因であるとはよく言ったもので、確かに苦しい。知りえないという苦しみ。しかし、その煩悩がもし無くなったら、私は私であると言えるだろうか。苦しい道を選ぶ。苦しんだ先に苦しみしかないのに。苦しむために苦しむ。でもこれは人間である限り不可抗力だ、と思う。

 

私が生まれていなければあなたは生まれていない、もしくは、あなたが生まれていなければ私は生まれていない。もしそうだとすれば、この世の中、とんでもない数の奇跡であふれているのだ。毎日、粉を計り、粉を撹拌していると、そういう話が本当のような気がしてくる。奇跡とか運命とかそういうものが実際は一挙手一投足に起こっていて、人生が思いもよらぬ方向に、だれも予測できない方向に、転がっていく。どんどん確定していく運命とこれから訪れる予測不能の運命。そういう非情できまぐれな運命にどうして祈らずにいられようか。