霧中暗中ブログ

夢も希望もない三十代の日記です

散々スマホに費やしてきた時間はもう戻らない

 いつも仕事が終わって帰ってきたとき、もしくは休日で家にいるとき、それは余暇というのだろうがその余暇の使い方が絶望的に良くない。まず家に帰ってきてすることは夕飯を食べることだ。これに関しては腹が減っているので迅速かつ短時間で終わる。

 そのあとがまずい。シャワー浴びるなり風呂に入るなりしなければいけないのだが、気持ちがついていかない。めんどくさい。これをこなすには我慢が必要だ。入りたくないという怠け心でついついスマホを眺める。というよりスマホに逃げる。スマホを手に取るとYouTubeなりティックトックを2時間くらい見ている。いくらでも見ていられる。時間はあっという間に過ぎていく。風呂に入らなくていいならそのまま深夜になるまで見ているだろう。それでも我慢してなんとか風呂に入って出てくると、結局寝なければいけない時間の1時間前とかになっている。そのあとはもう何もできない。1時間では何もできない。何もできないというのは幻想なのだが、それは置いておく。

 時間を有効に使いたいならまずスマホ欲を抑えなくてはいけない。私にとってスマホを眺める作業はかなり不毛に近い。楽しいし、楽だし、暇潰しに最高だし、これぞ文明の利器なのだが、昨日の晩御飯何食べたのか覚えていないのと同様、スマホで何を見たのかすら覚えていないのだ。あれだけ時間を費やし一生懸命眺めて得られるものが一つもないのだ。

 煙草と一緒だ。多分スマホを眺めている時何かしらの快感を感じる物質が脳内から出ている。知らないが。私は10年以上前からかなり依存している。有名なインターネット掲示板を一日何時間も眺めてきた。暇さえあれば携帯電話、スマホを眺め続けて10年だ。一体今までにどれほどの時間をそれらに費やしてきたのかわからない。それがいい事なのか悪い事なのか私には判断できかねるが、それだけ時間が膨大になると、人生だって変わってくるだろう。

 今までの経験で我慢というものは早かれ遅かれ破たんするものだと心得ている。だから自然体でいたいのだがそんなことも言っていられない場面は多々ある。病気になってからじゃ遅いし何かを失ってからでは遅い。我慢という形ではなく、習慣を変えたい。徐々に徐々に減らしていって気づいたらやらなくなっていた、というふうに。多少なりに痛みは伴うが、我慢し続けて爆発させるよりは方向性は間違っていないと思う。

 余暇の使い方に話を戻すと、今までは暇さえあればスマホに手が伸びて、際限なく眺めてしまっていた。スマホを我慢するのではなく、スマホを眺める時間というものを作ってあげてその時間外は極力スマホから離れる我慢(結局我慢ではあるが)が必要かもしれない。一日10分(10分どころではないが)で、一年で60時間。塵も積もれば山となる。ほんとにその時間をもっと有効に使いたい。