俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

シミュレーション仮説は私を救うか

シミュレーション仮説というものがあります。この世界はコンピューターの制御するシミュレーションの中の世界だとする説です。

 

最近ユーチューブを見ていてもこれ関連の動画が沢山あります。イーロン・マスクが支持しているとか、誰彼もこの説を推している、などなどなかなか賑わっています。

 

この世界はシミュレーションではない、という証明が誰にもできないのです。シミュレーションである可能性が往々にしてあるのです。

 

さて、この世界はシミュレーションだと思いますか?正直この世界がリアルだろうと、シミュレーションだろうと、やることは変わらないですよね。シミュレーションだから犯罪を犯していいわけじゃないし、仕事を辞めて働かなくてもいいわけではない。犯罪を犯せば犯した分、不安な毎日を過ごさなければならないですし、仕事を辞めればひもじい思いをするわけです。シミュレーションだとしても痛い思いはするのです。

 

死後はどうでしょうか。この世には地獄とか天国などという概念がありますが、もしシミュレーションだった場合、死んだ途端、VRゴーグルをつけた状態で目覚めたりするのでしょうか。

 

ただこの世界がシミュレーションだったとしたら、心の持ちようが変わってくると思います。私の不安も悪事も全部まぼろしなのです。現実ではないのです。リアル過ぎて、痛み全部を体感していますが、全部現実じゃないのだとしたら。あの悪夢から覚めた時のような安堵感が味わえるのだとしたら。この世界から目覚めやしない、でも、目覚める時が来るのだとしたら。

 

要するに、私はシミュレーション仮説に救いを求めているのです。この社会不安から抜け出すために何か糸口を探しているのですが、この世界があまりにもリアル過ぎて、どうにもシミュレーションには思えません。

 

繰り返しになりますが、この世界がどっちであろうと、関係ないのです。でもあの人の痛みも私の悪事も全部現実ではないという可能性、そこに潜むロマンが私を、この世界はシミュレーションであるという仮説に惹きつけるのです。

 

目の前に広がるこのリアルな世界が全部シミュレーションであったなら。