俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

私がレールから外れてしまったあの日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 私は一本のレールの上をひた走ってきた。そのレールだけは外れないように努力したり我慢したり、半ば人生を賭けていた。幼いころから大学4年生のあの日までは。

 

 忘れもしない。大学4年時、私の入っていたゼミではみな就職先も決まり次は卒論をどうするかに話題が移っていた。私も辛うじてとある職が決まっていた。そのゼミでは毎年恒例の4年生による卒論の構想を発表する会が控えていた。

 人前で話すことを極度に恐れている私が、ゼミのみんなの前で発表する。緊張で、言葉が詰まり、目が泳ぎ、顔が赤面し、手足が震える。想像するだけで恐ろしい事だった。それまでみんなの前に立って発表する機会が無かったわけではない。ただ上手くしのいできた。しかし、今回ばかりは逃げられないと悟った。

 私はその会には出席しない、出席できないとなんとなく心に決めていた。ただ、実感がわかなかった。というのも、その会に出席しないということは、私にとってもうゼミの教授とみんなの前には姿を現すことがないということだった。そんなことになったらおそらく卒業できなくなるということも分かっていた。それがどういうことか。あれほど慎重に走ってきた人生のレールから外れる。今一つ実感がわかない。

 発表会当日、案の定というか予定通りというか私はアパートの自室から出られなかった。みんな今頃、私の事をなんと言っているのだろうか。いろいろな想像が頭の中をめぐる。恥ずかしさと不安と焦燥感、いろんな感情に襲われる。ゼミの同級生の一人からメールが来る。
 「どうしたの?ゼミに来ないの?」
 レールから完全に外れたという実感が徐々に湧いてきた。私はこれまで築き上げたものがこんなにもいとも簡単に崩れてしまうのかと感じた。自室で呆然としていた。

 それからの話をすると、その後の大学の講義を全て欠席した。当然卒業することができなくなった。採用が決まっていた就職先も辞退しなければいけなかった。大学を2留することになった。「あの日」から私の描いていた将来像とかけ離れた今へと続いている。卒業後はアルバイトやパートなどの非正規の職を含め3回転職し今の職に至る。

 私の言うレールというのは、真面目で健康的で、頭が良くて精神力が強くて、きっと将来は公務員か一流企業のサラリーマンで、社会からみて信用のある大人になるための一本道だったと思う。そのために勉強も部活動も一生懸命やった。そこそこいい大学にも入ったつもりだった。でもきっと何かが足りなかった。そもそもそのレール自体が間違っていたのかもしれない。そのレールから外れてしまった今はもうそんなものにあまり興味が無い。

 一生懸命生きてきた結果なのか、嫌いなことから逃げてきた罰なのか、当時いろいろ考えたが、今思えばなるべくしてなった、と思う。対人関係に昔から難があった。それは痛い程よくわかっていた。それが嫌で嫌で仕方のない少年だった。結果的にそれは私をなりたい大人から遠ざけた。なりたくない大人になってしまった。

 あの日が、人生の転機になった。でも遅かれ早かれ、私の描いた将来設計は破たんしていたと思う。それがあの日だっただけだ。今、こうして俯瞰して見ると、つまらないプライドなど捨てて、もっと好きなことをしていればよかったと思う。逃げることも必要だったと感じる。あの段階でレールから外れることができて良かったと言うこともできる。なにはともあれ、私は今の職に就いて3年半。学生時代に思い描いた将来像とは大分違った人生になった。フリーターと正社員の間を行ったり来たり、今私は将来に怯えながらもなんとか踏ん張っている。