俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

私の職場の

私の職場には出ます。

 

怪談好きの私としてはそのこと自体が不思議なこととして興味深いのですが、 

 

ただなぜここに出るのか、ということに私は思いを馳せます。

 

 

様々な人が働いている場所ですから、誰のどういう思いがなぜここにそういう形で現れるのかわかりませんが、そういう部分を考えるのはまるで人の秘密を探るみたいです。

 

いろいろ推測はできますが、全くの見当違いかもしれないし、わかりようのないことです。

 

結局、職場に出るそれ、というよりもそれについて私がどう考えるかに私は興味があるわけです。

 

ただ朝一で出勤して、誰もいない作業場に内心ビビっているのも本当のことです。

過去に戻れないか

中学生に戻ってやりたいことがあります。

高校生に戻ってやりたいことがあります。

大学生に戻ってやりたいことがあります。

20代に戻ってやりたいことがあります。

 

やりたいことができなかったのは私が私を大きく誤解していたからです。また周りの人のことも誤解していました。私はその誤解に縛られて、やりたいこともできずに、30歳になってしまいました。

 

その誤解が生まれた原因は定かではありません。私の生まれ持った気質かもしれないし、成育環境なのかもしれません。

 

その誤解はまだ解けていないかもしれません。しかし、30を過ぎて父が亡くなったタイミングが奇しくも私のターニングポイントになりました。光明が差したと言いますか。

 

しかしその光明が差さなければ、私はまだ悩んでいなかったはずです。人生が上向き始めたのと比例して私の悩みは大きくなっていきました。それが冒頭の実現不可能なつぶやきにつながります。

 

取り返さなきゃ取り返さなきゃ、とあくせくして、でも何もできずもがいて、きっと何年後かには今現在をも後悔するのでしょう。

 

いっそこのまま闇落ちでもできたら楽かもしれないです。

 

 

今自分はなんて呼ばれているのだろうか

以前親しくしていた人に今現在自分がなんて呼ばれているのだろうかとか気になることはないですか。

 

もう今は親しくないので名前すら呼ばれないですが、心の中ではちゃんと呼び名があるはずなんです。

 

その人と自分の関係性の問題です。いい離れ方であれば心配ないでしょうけど悪い終わり方をしていれば、さあなんて呼ばれているでしょう。

 

親しかったあの頃はあんなに親しみのこもったあだ名で呼んでくれていたのに、きっと今は「あいつ」とか「やつ」とか呼ばれてるんだろうなとか考えるとゾクゾクしませんか?

 

そんな甘っちょろい呼び名ではないかもしれませんね。その人オリジナルのもっと酷い呼び名があるかもしれません。

 

そんな中で、もしかしてまだあの頃の呼び名で呼んでくれてるかも、なんて十中八九無いことを考えてしまうのも仕方ないのかもしれません。

目標はどこへ

なぜか私はつまずきます。何を目指しているのかわからなくなってきました。

 

何を糧に生きていけばいいかがわかりません。目標がなくなり落ち込んでいるのです。誰のせいでもなく私に問題があります。私の身勝手さが毒となって私自身の身を侵しているのです。

 

あの日の後悔、あと一歩だったのにとか、あと少しで手が届いたのにとか。そういうものがこうも激烈に体に響いたことがあったでしょうか。

 

私はもっと自分に正直に生きるべきでした。つまらない価値観で決めつけをするべきではありませんでした。

 

そう考えると大学を目指したことや公務員を志望したこと、あほみたいに野球にしがみついたこと、あれやこれやと今まですべての私の過去を否定しなくてはいけません。それ自体は決してつらいわけではありません。ただ失ったものたちがあまりに大きくて、私は自分に失望しています。

 

贅沢になったなあ。欲が出てきていいことじゃないか。人は欲がないと生きていけないんだから。私のこの後悔や失望がこの先実を結び前を向ける日は来るだろうか。

後悔先に立たず

ただただ何もしないまま日々が過ぎていく。

 

足が震えてしまうような不安な日々。

 

なぜこの人生を選んでしまったか。

 

どこで道を間違えたかを反芻する毎日。

 

後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 

真面目ならいいってもんじゃない。

 

お前には最高の癒しが必要だ。

 

最高の癒しについて考える。

 

考えるだけで、私は過去に戻らなければいけない気がする。

 

戻れないなら私はきっとこのまま腐っていく。

 

あの日の後悔が私を腐らせる。

 

私のやってきたことは間違いだった。

 

そしてこれからも間違えていくのかもしれない。

 

 

 

 

 

タバコの価値

上等な煙草は一本いくらするのでしょうか。

 

今のタバコも十分においしいはずです。

しかも、決して安くありません。

だったらそれを吸っていればいいのです。

 

しかし喫煙者の性でしょうか。

より上等な煙草をたまには吸ってみたくもなります。

喫煙者である以上、それは変わりないのです。

 

本題、それは苦しいことでしょうか。

タバコが吸えればそれでいい?

それとも。

モチベーションをどこに求めるか

仕事のモチベーションをどこに求めるべきか考えてしまいました。

 

私と同じ課の同僚に、私よりやる気がなく仕事の遅い人がいます。

 

その人よりいかに早く作業できるか、いかにやる気を見せることができるか。

 

それが今の私のモチベーションとなっています。

 

自分より下の人間を作ることに一生懸命になっています。

 

そうすることで相対的に自分の価値を高めようとしています。

 

できる人に囲まれているときは縮こまって腐っていくくせに、できない人がそばにいるときは水を得た魚のように生き生きしだす。

 

なにか「働きアリの法則」を連想します。

 

そういう日和見的な自分を嘲りたくて、このブログを書いています。

 

上の人を見て、「この人みたいになりたい」という気持ちがモチベーションになればいいですけど、もうそんな真っ当な態度で仕事に臨む年齢ではないのかもしれないと思い返し、少し赤面しました。