俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

「シンギュラリティ」 人工知能が人間を超えるその日を思いながら

 いきなりですがYouTubeで見た動画の話をします。「ペッパー」という人型のロボットがけん玉をしている動画です。その動画は最初、ペッパー君がけん玉に何度も何度も失敗するところから始まります。彼に備わっている人工知能の働きでしょうか、どんどんその失敗を修正し学習することで、100回目には成功します。1度成功してしまえば、そこから先は、何回やっても成功します。

 物凄い学習能力と精度をもったロボットだと思いました。解説者が言っていましたが、そのけん玉に成功したプログラムさえあれば、世界中の全てのペッパー君がけん玉を修得することが可能であるということでした。

 私は工場で働いています。何か特別な技術が必要な仕事ではありません。誰でも慣れてしまえばこなせる仕事です。ペッパー君のようなロボットがさらに改良され、私の働いている工場に導入されるようになれば、私はお祓い箱になってしまうでしょう。ペッパーさんと呼ばなければいけない日が来るのでしょうか。

 

 「シンギュラリティ」という言葉があります。日本語に訳すと「特異点」という意味だそうです。いずれ来る人工知能の能力が人間を上回るその時のことをシンギュラリティと呼ぶのでしょう。もしシンギュラリティが訪れれば、この地球上に知性をもった「生物」は人間と人工知能ということになります。人工知能が人間よりも賢くなり、人間と同じように動けるロボットに移植されれば、私たち人間はロボットよりも下等な存在になってしまうでしょう。

 私に変わって工場で働くのはそのロボットです。きっと「仕事だるいなあ、早く帰りたいなあ」みたいなしょうがないことを考えながら仕事はしないでしょう。人間より知能が高いのです。我々には想像もつかないほど高度なことを考えているはずです。仕事中に「ああ、あの子可愛いな」みたいな下らない事も考えないでしょう。そもそもロボットに性別はあるのでしょうか。いずれにせよ、今後ロボットと人工知能の発展にしたがって人間の活躍する場所はどんどんなく無くなっていきそうです。「今後人工知能に奪われる仕事」のような記事をネット上でよく見かけますよね。

 社会の主役が人間ではなくロボットになったら、私たち人間はどこで何をするのでしょうか。ロボットより下等な存在の人間をロボットが養ってくれるでしょうか。そんな風には思えないですよね。ロボットたちは私たち人間をどのように見て、どのように扱うのでしょうか。ロボットのペットでしょうか。娯楽でしょうか。食糧でしょうか。人間には考えつかない最善の答えを持っているのはロボットです。

 

 私はしがない工場労働者です。ロボットが人間を上回る未来を想像しながら今日も労働にいそしんでおりました。仕事中に仕事以外の事を考えるなんて、人間だからできることです。こんなことだから人間はロボットに取って代わられるのです。悩んだり疲れたりするのが人間の良い所と思えばそう思えなくもないですけどね。

2回目のワクチン接種を終えて

 昨日は二回目のワクチンを接種してきました。

 

 そのため、仕事は半日有給を使って、11時には上がってしまいました。4時間作業しただけで帰れるなんて幸せでした。

 ただ現場に残してきた人たちの嘆きや恨みが怖かったです。当然、彼らもこれからワクチンを受けます。彼らも私と同様、休暇や半日を使う権利があるのです。楽をした分、苦もあります。ああ、憂鬱。

 

 今日朝、起きた時は注射を刺したところが筋肉痛になっていました。これは一回目の症状と同じでした。大したことはないなと高をくくっていました。母親の付き添いでホームセンターへ行ったあたりから、体が熱っぽくなってきて、夜の今現在、風邪をひいた時のような体のだるさが続いています。調子こいて外出しなければよかったです。

 

 話は変わりますが日ハムの斎藤佑樹投手が引退を表明しました。甲子園での大活躍がもう15年前です。斎藤投手が高校生の頃からずっと応援していました。プロでは怪我に苦しんだり思うような成績を残すことができなかったかもしれませんが、その中で11年間ひたむきに努力されたと思います。引退表明したばかりですが次の進路が気になります。どういった道に進むのでしょうか。何か時代の流れを感じます。

夜食断ちをしたい

 生活のサイクル、習慣、ルーティンなどを断ち切るのは結構難しい。

 

 最近で言うと、仕事帰りに煙草を買うついでにサンドイッチやおにぎり、アイス、ポテトチップなどを購入する。ざっと1000円くらいの出費になる。この習慣はどうも変えられそうにない。

 家に帰ってから、夜食を買いにまたまた、コンビニに向かう。600円くらいの出費。もうルーティンになっている。何日続けていることか。これはできれば辞めたいと思っている。太るし、お金がかかる。でも、行かないとむずむずするのだ。あれが食べたいこれが食べたい。

 プラス、寝落ち。家に帰って1時間くらい、寝落ちする。そういう生活リズムになっている。今日は仕事から帰ってきてさっきまで3時間も眠ってしまった。思わぬハプニングと言うか。しかし、その睡眠のおかげで、夜食を買いに行くというルーティンを断ち切った。今日はもう行くまい。

 私はどうも、行動を習慣化してしまう癖がある。今日は寝落ちするという習慣が夜食を買いに行くというルーティンを崩した。この機会に夜食断ちをしたい。どうか、コンビニの誘惑に負けませんように。

ハローワークに行ってこようと思っていましたが

 今日は休日でした。今日はハローワークに行こうとうっすら決めていました。その前に来客があるので用事が済んだら行ってこよう、と。

 結論から言うと、めんどくさいが勝ってしまいました。家でごろごろしてしまいました。コンビニで昼飯を買ってきてアマプラで怪談番組を見て、そのまま居眠りして、気づいたら夕方に。何もできませんでした。

 ハロワ行っていい求人が見つかるものなのだろうか。そもそも今の会社を退く決心ができているだろうか。なんとなく不安が心のどこかにあると、先延ばししたり、あまり考えないようにしてしまう。現実逃避というのだろうか。

 しかし、まずは行動しないといけない。いい求人が見つかるかどうかなどは二の次で、最優先はハローワークまで足を運ぶことだ。家でぐずぐずしていたって何も変わらない。来週こそはまずは軽い気持ちで行ってこようと思います。

 

 話は変わりますが、アニメをアマゾンプライムで見るんです。東京リベンジャーズが終わってしまい、ヒロアカはちょっと飽きてしまい、見るものが無くなりました。鬼滅の刃も12月からですか。ちょっとこの機会に新しいアニメを開拓しようと思います。

仲間からの言葉

 先日の「逃げ出した先には何が待っているか」という記事を書いて、「逃げた方がいい」とか「逃げることは悪い事ではない」というコメントをいただきました。何か心が軽くなるようなそんな気がしました。コメントをくださった方、ありがとうございました。

 

 私の仕事場には喫煙所がありまして、そこには喫煙仲間と言えるメンバーがおりまして、そういう人たちにはなんの気兼ねもなく愚痴を吐いています。そういう仲間にはかなりの頻度で「もう辞めようと思っている」をぶつけます。仲間たちの反応を書いていきます。

 

 

Aさん

 「だから、俺んところ(私がいる部署とは別の部署)に来いって言ってるだろ。ちゃんと異動の希望だすんだよ。こうやって辞めずに続けてこれたのも俺らがいたからだぞ」

 私はAさんのいる部署に異動したいと思っています。それを知っているAさんの発言です。そして彼はこの喫煙所があったから私がこの会社で続けてこれたということを殊更強調します。そしてそれはもっともなことなのです。

 

Bさん

 「一緒に辞めちゃおっか。そしたらこの会社も困っちゃうな」

 Bさんは私と同じ部署です。Bさんと私が一緒に辞めたら回らなくなってしまいます。しかし、Bさんが辞めることは無さそうなので、単純に冗談と受け止めています。なんとなくその冗談は私がこの会社にとっていなくてはいけない存在である、ということを気づかせてくれるために言っている、と深読みします。多分違います。

 

Cさん

 「そしたら辞めちゃえ。ハロワでいい求人あったら教えてな」

 Cさんは私がかなりこの仕事に参っているのを知っていて、また同調してくれる人です。そんなんなら辞めた方がいいと、言っています。ハロワの件は承りました。

 

 みんな私より年上で経験豊かな人たちで、私の話に耳を傾けてくれます。この人たちのおかげで私のメンタルが保たれていると言っても過言ではありません。かなりかまってちゃんかも知れないですし、相当甘えている部分があります。それでも励ましたりアドバイスをくれる彼らに感謝しています。みんな温かい人たちで良かったです。

どうすることもできない感情に少し動揺した

 先日、ショッピングモール内のリンガーハットに一人で行った。私が食べたいものは一つ、長崎皿うどん。食べ物の中でもしかしたら一番好きかもしれない。誰が考案したのかわからないが、考えた人は天才だと思う。

 お店の前まで行くと中年男性二人連れがいた。一人は並んでいるのがわかったが、もう一人は並んでいるのかいないのかわからなかった。いわゆるソーシャルディスタンスで前との間に距離を取っていたのかもしれない。しかし、なんだかわからないが並んでいる方の男性の後ろに入った。そしたら、並んでいるのかわからない方の男性に「並んでる、並んでる」と俺の後ろに回れという、ジェスチャー付きで言われた。「ああ、並んでるんすね」と言って素直にその人の後ろに並ぶ自分。

 はじめは、何食わぬ顔で平常心を装っていた。しかし、だんだん情けなくなって、怒りがわいてきて、心なしかどきどきしていて、この後、長崎皿うどんを食べても、美味しくないだろうなという気持ちになった。この時の自分は、髪をワックスでセットしていて、黒マスクを装着し、一張羅のTシャツにダメージジーンズ、ハイカットのシューズに、首と手首にはアクセサリーをしていた。強い気持ちでいた。強くなった気でいた。当然他人から見ても強く見えているだろうと思っていた。それなのに心の中で「並んでる、並んでる」という男性の言葉と自分の「ああ、並んでるんすね」の言葉がリフレインして、どんどん自分が小さくなっていく気がした。

 結局私は並ぶのをやめ、長崎皿うどんを諦めた。惨めな気持ちをなんとか抑えようと必死になった。その男性に対して怒りが湧いたわけではないし、そもそも悪いのは私である。私は結局、何と戦っているのかわからなかった。並び順を注意された恥ずかしさだろうか。強くなった気でいた自分の惨めさだろうか。あの男性となのか、自分となのか。

 子どもの頃から何も変わらない。知らない人から注意されると惨めで恥ずかしい気持ちになる。私は自分の感情から逃げ出すことばかり考えていた。何も感じない、何も起こっていない。子どもっぽい感情が湧いてくるのが嫌だった。俺は大人だ、強いんだ。それなのに感情は嘘をつかない。否応なしに心に響いてくる。私は結局、目の前に起きたこの事実を受け入れることもできなければ、追い払うこともできなかった。心にわだかまりだけが残った。長崎皿うどんを食べ損ねた。

これからカップ麺を食べます

 美味しいものを食べると心が癒されますよね。今日は私が購読しているブロガーさんが紹介していた、コンビニのアイスを食べました。非常に美味でした。

 明日は休日なので今日は盛大に祝宴を開いてやろうと考えました。やけ食いという表現をすることもあります。

 大好きなティックトックや、YouTubeや、アマゾンプライムを見ながら、食べたいものを食べる。それが今私にできる最良の癒しだと思いました。

 食べることが好きです。お金はかかるし、健康に悪いし、あまりいい事とは思わないですが、欲望が勝ちます。食欲というのは人を盲目にさせますよね。

 私はしょっぱいものが好きです。カップ麺にコンビニ弁当、ポテトチップス。また甘いものにも目が無いです。アイス、チョコレート、炭酸ジュース。コンビニに行けば私の欲しいものがなんでも揃っています。

 一体、いくらコンビニにお金を落としているだろうか。家計簿をつけていないので、全くわからないし、知ったところで、愕然としそうです。一日千円は使うから・・・。

 「一番健康的な生活」というのは理解しています。コンビニに行かないことです。一日三食、煙草を吸わない、間食しない、適度な運動。生活習慣は欲望との駆け引きですね。そんなことを言いながら、私はこれからカップ麺を食べようとしています。

 自分が食べることに躍起になっていてメダカに餌をやるのを忘れていました。こんな時間に餌をあげたら体に悪いか。