俺は足踏み

もう少し頑張りたい三十代の日記です

嫌なことから逃げ出したい

 嫌なことから逃げるのは簡単だ。仕事から逃げるのは簡単だ。と言ったものの、そこから逃げたら、今の世の中、よっぽど才能のある人間でなければ、食いっぱぐれる。働かざる者食うべからず、っていうけど、そんなの当たり前だって思う人もいるだろうけど、私は少し厳しい言葉に感じてしまう。働かないと食っていけない社会システムが悪いとは思わないし、当然と思う。ただ、ストレスから、嫌なことから逃げた結果、生活水準が落ちてしまうことが必然の世の中があまりに単純で明確でわかりやすすぎるがために、逆に怖い。常に崖っぷちに立たされているような。一歩下がれば真っ逆さま。その当たり前の現実が眼前に突き付けられている空気。あれだけ手厚い日本の法律もそのことに関しては知らんぷり決めているようなそんな空気が怖い。

 努力して学力や技術、能力を手に入れた人を厚遇するのは、その人のためであり、社会のためでもある。一方で、何の努力もしない、能力もない、崖っぷちの私がいる。要するに私は贅沢を言っている。努力もしないで裕福な暮らしがしたいんだと。そうやって生きてきたんだ。父親の脛に噛り付いて、それを当たり前だと思い込んで、のんきに暮らしていたんだ。

 引かれたレールの上を走ってきた。そのレールがなくなったとたん、自分がどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまった。何のために生きているのかわからなくなってしまった。だから夢も目標もなく、まるで奴隷みたいな顔つきで毎日嫌々働いている。夢や目標があれば努力できるし、稼ぐことができると言ってしまっているようで恥ずかしいが、せめて、こんな苦役に耐えるような心境で仕事をする状況から脱したい。やりたいことを見つけてやりがいをもって働きたい。でも三十過ぎた男が言う言葉ではない。

 工場に正社員として勤め始めて3年半。一日一日を乗り切る気持ちで働いてきた。何度、辞めようと心に誓ったことか。こんな心境で働いているから、ほとんど成長などしていない。早く辞めてしまいたい。ストレスから逃げ出したい。でも、逃げ出したところで、食い扶持を失うだけだ。路頭に迷うだろう。どんな社会システムの国の人間だって同じように生きている。人間が生きていくためには仕方ないシステムなのだと思うしかないだろう。

休日の過ごし方

 今日は休日。雨が降ったら会う約束をした人がいたが、あいにく止んでしまって会えなかった。相変わらずの休日。何もしていない。休日には珍しく7時半に起きたが、そのあとは寝て起きての繰り返し、ほとんど寝ていた。休日って何をするのが正解なんだろう。人生が好転するような過ごし方があるなら是非実践したいものだが。その割にほんとによく寝る。そして決まって、仕事の事を思い出して気が滅入る。

 武井壮の動画を見た。視聴者がある人の倒し方を武井壮に聞いてそれについて答える動画。身振り手振りを加えて説明する武井壮。私はこの武井壮の動きに注目した。はじめ床に座って説明していたのが、いきなりすくっと立ち上がってアクションを交えながら説明し始めた。なんてことはない、いつもの面白い武井壮。ただ、私はすくっと立ち上がるあの動作を見てはっとした。彼は何の気なしに軽やかな身のこなしで立ち上がった。私にはそれができない。私は動きが緩慢なのだ。まず面倒くさがりな私は座っているところから立ち上がるのに時間がかかる。立ち上がるまでにそれに要する体力を心配する。そして心配するのも億劫になり結局立ち上がることができない。

 以前から、時間を有効に使えないものかと考えている。時間なんて有り余っている。それなのに何もできない。ほぼ寝ているか、横になりながらスマホを眺めている。忙しく働きながら月に何冊もの本を読む人がいる。時間を有効に自分のために使える人がいる。それに比べて私は、気づいたら何もする時間が無くなっている。意識の違いなんだろうなと思う。まだこれだけの時間がある。あと少しだけ横になっていよう。ああもうこんな時間だ。今日はもう諦めよう。こんなサイクルなんだと思う。

 武井壮の話に戻ると、あの動きができる人はきっと時間を有効に使える人だと思う。身のこなし軽やかで気持ちの切り替えも早くて、なによりそれを苦にしていない。当たり前にこなしてしまう。仕事は置いておいてもう少し有意義に休日や、仕事が終わった後の自由な時間を過ごしたい。

 今の私は、スマホに噛り付きだ。スマホばかり眺めている。楽だし楽しい。ただ、こんな生活をしていたらなにもない人生になってしまう。この間、部屋を掃除した。あれだけ放置して散らかり放題の部屋が、たった少しの気合でものの10分で綺麗になってしまうのだ。私のやる気スイッチは壊れてしまっているのだろうか。

部屋が汚かったので掃除した

 自分の部屋が汚い。机の上には一年以上前の保険のパンフレットが乗っているくらいでプロ野球チップスのカードや、シン・エヴァンゲリオンの半券が乗っかっている。テレビの前には三週間前に友達とやったプレーステーションが出しっぱなしだ。他にも冬服が脱いだまんまになっていたり、知り合いに借りた進撃の巨人が散乱していたりする。

 たった今、思い立ったが吉日で、思い切って部屋を整理した。出しっぱなしのものを所定の場所に戻して、ゴミはゴミとして出すなどであっという間に整理できた。十分ほどで思いのほか綺麗になってうれしい。一年以上も手つかずの場所をたった数秒で綺麗にできる。

 話は変わるが、子供の頃はなぜか、G虫を全く見かけたことがなかった。しかし大人になって頻繁に見かけるようになった。ここ十年で私の家にも暖かくなると必ず出没するようになった。この間、私の部屋にも小さいG虫が現れた。彼らは暗くなると姿を現すようで、その時も電気をつけた瞬間、私の布団の上にいるのを発見した。まだ小さかったから叫ぶまでもなかったが、大きい奴はだめだ。こういう時のために専用の殺虫剤を常備しているので速やかに処分できた。

 思い付きで部屋を掃除できてよかった。平気で半年一年とほったらかしにしている性分で、やりはじめてしまえば体が動くのだが、なかなかやりはじめるところまでいかない。掃除を終えた今、これからは出したものはきちんと元の場所に戻そうなどという気概も生まれるが、どうせできやしない。すぐ散らかってしまうのが落ちだ。

働くことに意味が見出せない

 今日は休日だった。昼間、病院に行って帰ってきて、昼寝したりなんだりしていたら一日がもう終わる。何もしていないという虚無感と向き合いながらこのブログを書いている。病院の帰り道、あれだけ効率的に過ごそうと考えて気持ちが浮き立っていたのにこのざまだ。

 私には趣味が無い。欲しいものが無い。やりたいことも無い。何のために働いているのかわからない。一度、お金がほんとうに無い状況に追い込まれないと必死で働こうという気にならないのだろうか。

 私は働かなくても生活していけると思っている。働かなくても食っていけると勘違いできているのは父親のおかげだ。父親の脛を齧って生きてきた。もう父親は他界したけど、その余韻がまだ残っている。計算ができないからわからないけど、働いていなかったら今の生活は維持できていないのは間違いないだろう。

 ただ、漠然と目的意識もなく働いている。働かないと生活できないという意識が無いからそうなるのだが、まるで奴隷にでもなったかのような心持で働くのは心底つらい。何か趣味を、欲しいものを見つけたらまた違うのかもしれない。今は何のために働いているのか全く意味を見いだせずにいる。

 仕事上でしなければならない我慢が、私の生活を豊かにしたいという欲求の大きさの割に合わない。大した額ではないがお金がはいるのは少しだけうれしい。でも税金やら車やら保険やらつまらないものにばかりに使っている。

 働く目的があったら、多少の事は我慢できるかもしれない。目的意識もないからわけも分からず奴隷のように働いている。こんなにつまらない人生でいいのだろうか。生きがいをもって働いている人、仕事にやりがいを持っている人がより一層うらやましい。働かないと生きていけないこの世の中で働くことに意味を見いだせないことほどつらいことはないのではないか。

 明日も仕事。なんでこんなに上司のプレッシャーに耐えなくてはならないのか。何のために。

今日も今日とてコンビニ通い

 仕事から帰ってきて、夕飯を買いにコンビニに行ってきた。趣味のない私のお金の使い道はコンビニだ。煙草は一日一箱買うので、月5万近くをコンビニに落としてるのではないか。食べることと喫煙が私にとって最大の娯楽だ。コンビニは割高だという。たしかに高いと思う。しかし、ただただ入りやすいの一点で私はコンビニを利用している。入りやすい駐車場。店内のあのサイズ感。レジの待ち時間の少なさ。

入りやすいは先入観じゃないのか。ちょっと我慢すれば、スーパーもドラッグストアも変わらないんじゃないか。でも、そのちょっとの我慢ができない。だから私は高い金を払ってでもコンビニに行く。ただ、煙草を吸わなければ、余計な間食をしなければ、月に5万はプラスで貯金できるはずだ。経済的だし、健康にもいい。それでもコンビニ通いがやめられない。これは無駄遣いなのだろうか。

 ストレスのせいなのだ。煙草を吸わないとやってられないし、間食もしないとやってられない。そのうち体に出てくるってわかりきってる。それなのに私は向う見ずに目の前の欲を満たそうとする。昔はおばあちゃんに100円玉もらって、駄菓子屋でお菓子を一つ買えば満足だったのに、今は200円近いお菓子を二個も三個も・・・。

結論を言えば、俺のコンビニ通いは無駄遣いだし、ストレスを解消するために必要な出費でもある。もっとも、もっと健康的にストレスを解消する方法が見つかればそれは趣味になると思う。でも、おそらくこのコンビニ通いはしばらく続きそうだ。

 

日々思うこと

  仕事から帰ってきて、夕飯を食べて、シャワーを浴びて、煙草を吸いながらこの記事を書いている。ブログを始めたこと以外、特に何も変わらない日常だ。

 私は仕事ができない。辞めたい辞めたいと思いながら、今の職に就いて3年半が経つ。自分が我慢できるところまでは頑張ろうと思って続けてきた。3年半よくもったと自分の中では評価している。私は仕事に熱心ではない。情熱をもって何かに取り組むことなどここ十年以上していない。もちろん、それは言い訳で、情熱が無いから仕事ができないのではなく、能力が無いから仕事ができないのだ。

 この職に就いてもう何度目かはわからない。もう辞めよう。今日もそう思いながら仕事した。どうしたらいいのか自分自身よくわからない。今日、給料明細をもらった。そりゃうれしいよ。でも、仕事を続けなきゃとはならない。フリーターに戻るべきか、それともこの正社員の立場を保つべきか。フリーターか正社員かの問題は、私が社会人になってからずっと大きな問題だった。それが正社員になってからというもの、その二択が人生を諦めるか否かのような切迫した問題にすり替わってしまったような錯覚を覚える。

 能力が無い。大抵の仕事はこなせない。今の職が四つ目だ。大した仕事なんてしてこなかったけど、よくわかる。仕事ができない。社会人になってまだ十年経ってないけど、自分の無能っぷりに嫌気がさす。一日一日、なんとか乗り切っている状態。問題にぶち当たった時に、乗り越えようなんて気概は一切ない。甘い人間なのはわかっている。でも甘いなりに弱いなりにもがいている。人生を捨てていないから悩むんだろうなって、私は思っている。今日ブログを始めたのだって、もがきの一つだと思う。何もしないで過ぎてしまう日常を書き留めておきたい。